【結論】竪谷博さんは、日本料理店と無国籍居酒屋で腕を磨いたあと、40歳で第55次南極観測隊の調理担当になった料理人です。帰国後は東京・西荻窪で居酒屋を営んでいます。
生まれは1972年、東京都。
南極には2回行っています(第55次隊・第61次隊)。
1回目の55次隊では、越冬隊24名の食事をたった1人で作りました。
番組は2026年9月28日(月)22時24分〜22時30分、日本テレビ「Switch-背中を押してくれたあの人-」。
キャリアチェンジをした人の「人生を変えたスイッチ」を6分で描く枠です。
- 竪谷博(たてや・ひろし)。1972年、東京都生まれの料理人
- 日本料理店で修業し、その後は無国籍居酒屋の料理人として長く働いた
- 40歳で一念発起。第55次南極観測隊の調理担当として2013年12月に昭和基地へ
- 55次隊の調理担当は本人ただ1人。越冬隊24名の食事を1年以上作り続けた
- 2015年3月に帰国し、同年7月に東京都杉並区で居酒屋を開店
- 2019年12月から第61次隊でも調理担当。越冬隊30名を支えて2021年に帰国
- 竪谷博さんのプロフィールと経歴の年表
- 40歳で南極を目指した理由と、1回落ちている事実
- 番組が「背中を押してくれたあの人」に誰を選ぶかの考察
- 帰国後に開いた西荻窪の店について分かっていること
番組表の紹介文は「南極観測隊調理隊員から居酒屋店主へ…竪谷博さん」の一行だけです。
ただ、本人のロングインタビューと連載が公開されていて、経歴はかなり細かく分かります。
先に編集部の考察、そのあとで事実を整理します。
【考察】番組が「背中を押してくれたあの人」に選ぶのは、亡くなった父親だと予想する
ここからは編集部の考察です。
番組は「あの人」を1人立てる構成ですが、編集部は、竪谷さんのスイッチとして描かれるのは、すでに亡くなっている父親だと予想します。いま隣にいる人ではなく、墓参りの朝に効いてきた存在だからです。
そう考える理由を6つ挙げます。
理由1。料理の道に進んだきっかけが父親だからです。
竪谷さんは「料理好きだった父のすすめもあって料理の道に進み、それからずっと続けています」と語っています(たびよみ)。
出発点がすでに父親です。
理由2。南極を決めた日が「父の墓参りの朝」だからです。
本人の説明はこうです。父の墓参りに出かける日の朝に新聞を読んでいたら、南極観測隊員募集(第54次隊)という小さな記事を見つけた、と。
番組が探している転機の瞬間が、そのまま父親と重なっています。
理由3。本人がその偶然を「縁」と表現しているからです。
「墓参りの朝に南極という選択肢が出てきたことには、運命というか縁を感じました」と話しています。
ドキュメンタリーは、本人が意味づけした出来事をそのまま軸に使います。
理由4。ちょうど人生の分かれ目に立っていたからです。
当時は無国籍料理の居酒屋で長年働き、そのまま続けるか、独立するか、料理から離れるかを考え始めていた時期でした。
「年齢的にもターニングポイント」だったと本人が振り返っています。迷っている人の背中を押す番組の狙いと、そのまま噛み合います。
理由5。1回落ちてから、もう一度受け直しているからです。
最初に応募した第54次隊は不合格でした。「落ちてみると悔しいもので、もう1回受けてダメなら縁がなかったと諦めよう」と考えて55次隊を受け、合格しています。
この再挑戦のくだりは6分枠の山場になります。
理由6。再挑戦のときに家族が支えているからです。
「その時、家族を含めて周りの人が僕の挑戦を応援してくれたのも大きかったです」と語っています。
父親が入り口を作り、残った家族が二度目を押した、という流れで構成できます。
以上から、番組の「あの人」は父親、もしくは父親と家族の両方になると予想します。
ただし放送内容は公表されておらず、あくまで編集部の推測です。別の恩人が立てられる可能性も残ります。
竪谷博さんのプロフィールと経歴
読売旅行のメディア「たびよみ」に掲載された公式プロフィールが、いちばん詳しい情報源です。
そこに書かれている経歴を年表にすると、次のようになります。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1972年 | 東京都に生まれる |
| 子どもの頃 | 食べることが好きで台所を手伝う。味噌汁などを作るうちに料理に興味を持つ |
| 修業期 | 日本料理店で修業。本人は銀座の懐石料理店と説明している |
| その後 | 無国籍居酒屋の料理人として長く働く |
| 40歳のとき | 第54次南極観測隊に応募するが不合格。翌年の第55次隊に再挑戦して合格 |
| 2013年12月 | 第55次南極観測隊の調理担当として昭和基地に赴任 |
| 2015年3月 | 越冬隊24名を1人で支えて帰国 |
| 2015年7月 | 東京都杉並区に居酒屋「西荻窪じんから」をオープン |
| 2019年12月 | 第61次南極観測隊の調理担当として再び昭和基地へ |
| 2020〜2021年 | 越冬中の日々を幻冬舎plusで連載。2021年に帰国 |
読み方はたてや・ひろしです。
なお、たびよみのプロフィール欄では姓が「堅谷」と表記されていますが、記事本文・番組表・連載ページはいずれも竪谷です。
この記事では竪谷で統一しています。
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40歳で南極を目指した理由
南極の調理隊員という仕事自体は、南極関係の仕事をしている知り合いから聞いて知っていたそうです。
ただ、その時点ではなろうとは思わなかったと本人は話しています。
気持ちが動いたのは、前述のとおり父の墓参りの朝に新聞記事を見たときでした。
当時は無国籍料理の居酒屋で長年働き、そのまま働くか、独立して店を出すか、料理から離れた別の仕事に就くかを考え始めていた時期です。
本人の言葉では「年齢的にもターニングポイント」でした。
最初に受けた第54次隊は不合格です。
そこで終わらせず、「もう1回受けてダメなら縁がなかったと諦めよう」と決めて第55次隊を受験し、合格しました。
南極に行った料理人という肩書きの裏に、一度落ちているという事実があります。
帰国後に開いた西荻窪の店
2015年3月に55次隊から帰国し、同年7月に東京都杉並区で「西荻窪じんから」を開店しています。
居酒屋の激戦区である西荻窪で、人気店になったとプロフィールには書かれています。
現在は2店舗が確認できます。
グルメサイトの店舗情報によると、2号店にあたる「じんからごはん」の料理人欄に竪谷さんの名前と第55次南極観測隊の経歴が載っています。
住所・営業時間などの詳細は、店舗情報の角度で別記事にまとめています。
よくある質問(Q&A)
Q1. 竪谷博さんの年齢は?
1972年生まれと公表されています。
誕生日は公表されていないため、2026年9月時点では53歳か54歳ということになります。
Q2. 出身地はどこですか?
東京都です。市区町村までは公表されていません。
Q3. 南極には何回行ったのですか?
2回です。
第55次隊(2013〜2015年)と第61次隊(2019〜2021年)で、いずれも調理担当の隊員として越冬しています。
本人は3回目もチャンスがあれば挑戦したいと語っています。
Q4. 1人で何人分の食事を作っていたのですか?
55次隊は越冬隊24名で、調理担当は竪谷さん1人でした。
通常、南極観測隊の調理隊員は2名体制です。
61次隊では通常どおり2名で、越冬隊は30名でした。
Q5. 結婚していますか?
家族構成は公表されていません。
インタビューでは南極への再挑戦のときに「家族を含めて周りの人が応援してくれた」と話していますが、配偶者や子どもの有無には触れていません。
ここは分からないと書いておきます。
Q6. 南極での日記は読めますか?
読めます。
幻冬舎plusで「料理人タテヤの南極日記 #JARE61」という連載が公開されており、第61次隊の越冬生活が本人の文章で残っています(幻冬舎plus)。
更新は2020年4月から2021年1月までです。
Q7. 放送はいつですか?
2026年9月28日(月)22時24分〜22時30分、日本テレビです。
ナレーターは声優の中村悠一さん。
6分間のミニドキュメンタリー枠です。
今後の見通し
放送は6分と短いため、経歴のすべてが紹介されるとは限りません。
「南極から居酒屋へ」という見出しに合わせて、転身の瞬間に絞られる可能性が高いと考えられます。
一方で、本人は3回目の南極にも意欲を見せています。
放送をきっかけに店の取材が増えれば、これまで公表されていない家族や独立の経緯が語られる場面も出てくるかもしれません。
ここは予測であり、確定情報ではありません。
まとめ
竪谷博さんは1972年東京都生まれの料理人です。
日本料理店と無国籍居酒屋で腕を磨き、40歳で南極観測隊に応募しました。
第54次隊で一度落ち、第55次隊で合格。
2013年12月から昭和基地で越冬隊24名の食事をただ1人で作り、2015年3月に帰国して同年7月に西荻窪で店を開きました。
2019年12月からは第61次隊でも調理担当を務めています。
番組は9月28日(月)22時24分から日本テレビ。
「背中を押してくれたあの人」に誰が立つのか、考察と合わせて見てみてください。