【結論】貫啓二氏は「串カツ田中」の創業者。高卒でトヨタ輸送に入り、27歳で独立したたたき上げの経営者です。
番組表の紹介文に、こんな一言が載っています。
「串カツ田中一本足経営を捨てる。今は第二創業」。
発言の主が創業者で社長の貫啓二(ぬき・けいじ)氏です。
放送は2026年9月25日(金)22時15分〜23時09分、テレビ東京「ガイアの夜明け」です。
- 読み方はぬき・けいじ
- 1971年1月27日生まれ、大阪府三島郡島本町出身
- 1989年にトヨタ輸送へ入社
- 1998年に個人事業で飲食業を創業
- 2008年12月、串カツ田中1号店(世田谷店)を開業
- 2022年に会長へ退き、2025年12月に社長へ復帰
- 2026年3月、会社はユニシアホールディングスに改称
- 貫啓二氏のプロフィール
- 会社員から串カツ田中を作るまでの経歴
- 一度退いた社長の座に戻った経緯
- 「脱・串カツ田中」を掲げる理由の考察
先に編集部の考察を置き、そのあとで公表されている経歴を順に並べます。
【考察】成功の最中に看板を外せるのは、失敗を2度知る創業者だけだと予想する
ここからは編集部の考察です。
編集部は、「脱・串カツ田中」は、串カツ田中より前の2度の苦戦を知る貫氏本人でなければ打ち出せなかった方針だと予想します。
そう考える理由を7つ挙げます。
理由1。最初の店が「惨敗」だったからです。
1998年に開いた大阪・アメリカ村のバーは、家賃が月30万円なのに平日の売上は1日1万5000円だったと本人が語っています(文春オンライン)。
売れない店の怖さを自分の給料で味わっています。
理由2。2度目は「行ける」と思った店でつまずいたからです。
2004年に東京・青山で開いた京料理店は、雑誌で紹介され予約が入るようになったものの、想像以上に出費がかさんだと同じ記事にあります。
評判が良くても会社は傾くという経験です。
理由3。いまの店舗の大半が串カツ田中だからです。
2025年11月末の総店舗数357のうち、串カツ田中は344店です(近代食堂プラス)。
店の数で見ると9割以上がひとつの看板に乗っています。
理由4。好調なうちに動いているからです。
番組紹介文は、売上は過去最高と書いたうえで「成功している今だからこそ変わる必要がある」という貫氏の言葉を載せています。
苦しくなってからでは選べる手が減ることを知っている言い方です。
理由5。社長に戻るとき、代表を1人に絞ったからです。
2025年12月の開示には、代表取締役2名体制から貫氏1名の体制に移り「機動的な経営判断を行う体制を確立」すると書かれています(同社適時開示)。
大きく舵を切る前に決める人を一本化した形です。
理由6。同じ月に別ブランドを丸ごと買っているからです。
2025年12月にイタリア料理チェーン「ピソラ」の全株式を取得し、完全子会社にしました。
口で言うだけでなく、お金を先に動かしています。
理由7。社名から「串カツ田中」を外したからです。
2026年3月1日、会社名は「ユニシアホールディングス」に変わりました(串カツ田中公式)。
いちばん知られた名前を社名から外すのは、創業者にしか通せない判断だと考えられます。
補足すると、貫氏は創業から一度会長に退き、後任社長の辞任を受けて社長を兼ねる形で戻りました。創業者が戻る例は外食業界で珍しくありませんが、戻った直後に社名まで変えた例は多くありません。戻ったのは守るためではなく、変えるためだったと読むのが自然です。
以上から、方針の根っこは創業前の2度の失敗にあると予想します。
ただし本人がそう語ったわけではなく、あくまで編集部の推測です。
貫啓二氏のプロフィール
会社の開示資料と報道で確認できる情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 貫 啓二(ぬき けいじ) |
| 生年月日 | 1971年1月27日 |
| 出身地 | 大阪府三島郡島本町 |
| 最終学歴 | 大阪府立島本高等学校 |
| 最初の就職先 | トヨタ輸送 |
| 現在の役職 | ユニシアホールディングス 代表取締役会長兼社長 |
高校を卒業してすぐトヨタ輸送に就職しています。
大学には進んでいません。
独立資金は、貯金200万円と退職金100万円。
足りない分は兄に連帯保証人になってもらい、信用金庫から700万円を借りたと本人が語っています。
串カツ田中のお店に行ったことがある方も多いはず。
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会社員から串カツ田中を作るまで
公式の役員略歴と、本人のインタビューをもとに年表にしました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1989年4月 | トヨタ輸送に入社 |
| 1998年 | 個人事業で飲食業を創業(大阪・アメリカ村のバー) |
| 2001年 | 大阪・堀江にデザイナーズレストランを開店 |
| 2002年3月 | ケージーグラッシーズ有限会社(現在の会社)を設立 |
| 2004年 | 東京・青山に京料理店を開店 |
| 2008年12月 | 串カツ田中1号店(世田谷店)を開業 |
| 2011年12月 | フランチャイズ展開を開始 |
| 2015年12月 | 100店舗を達成(FC店を含む) |
店名の「田中」は、バー時代に知り合った田中洋江さんに由来すると文春オンラインの記事にあります。
大阪・西成の出身で、ときどき串カツを差し入れてくれた人だったそうです。
1号店から100店まで約7年。
フランチャイズを始めてからの伸びが速かったことが年表から分かります。
一度退いて、社長に戻った経緯
貫氏は2022年6月に取締役会長となり、社長の座を後任に譲りました。
2024年9月には代表取締役会長になっています。
2025年12月15日の開示で、当時の社長が「一身上の都合」で辞任すると発表されました。
これを受けて貫氏が12月16日付で代表取締役会長兼社長になっています。
辞任の詳しい事情は会社から公表されていません。
本記事でも、公表された以上のことは扱いません。
よくある質問(Q&A)
Q1. 名前の読み方は?
ぬき・けいじと読みます。
「貫」一文字で「ぬき」です。
Q2. 年齢は?
1971年1月27日生まれなので、放送日の2026年9月25日時点で55歳です。
Q3. 出身はどこ?
大阪府三島郡島本町です。
京都府との境にある町で、高校も地元の府立島本高校を卒業しています。
Q4. 大学は出ている?
公表されている略歴では、高校卒業後すぐにトヨタ輸送へ入社しています。
大学に通った記載はありません。
Q5. 串カツ田中の「田中」は誰?
文春オンラインによると、バー時代に知り合った田中洋江さんの名字です。
貫氏の名字ではありません。
Q6. 会社の名前は変わった?
2026年3月1日にユニシアホールディングスへ変わりました。
お店の名前「串カツ田中」はそのままです。
放送で注目したいこと
番組はリブランディング、新商品の開発、物価高に逆らう値下げの舞台裏に密着すると予告しています。
好調な看板をどう変えるのか、その判断の瞬間が見どころです。
とんかつや天ぷらの新業態、海外への進出にも触れる予定です。
創業者がどこまで串カツから離れるつもりなのかに注目です。
まとめ
貫啓二氏は1971年生まれ、大阪府島本町の出身。
高校卒業後にトヨタ輸送で働き、1998年に飲食業で独立しました。
2度の苦戦を経て、2008年に串カツ田中1号店を開業。
一度は会長に退きましたが、2025年12月に社長へ戻り、2026年3月には社名も変えています。
放送は9月25日(金)22時15分からテレビ東京「ガイアの夜明け」です。