【結論】保山耕一さんの病気は末期の直腸がん。2013年、50歳のときの診断でした。
- 診断は末期の直腸がん
- 時期は2013年、ちょうど50歳のとき
- 手術しない場合は余命1〜2か月と告げられた
- 再発時の5年生存率は5%と説明された
- 直腸を摘出し、後遺症と付き合いながら撮影を続けている
- 毎朝の撮影はリハビリとして始めたもの
- 保山耕一さんの病名と、診断された年齢
- 医師から告げられた具体的な数字
- いまも残っている後遺症の内容
- 撮影を始めたきっかけが「作品づくり」ではなかった話
- 「時間=命」という言葉の出どころ
2026年8月27日午前3時8分から、
NHK総合で映像詩「やまとの季節七十二候」が放送されます。
映像を撮っているのが保山耕一さんです。
この人の紹介文には、
ほぼ必ず「がん」の話が付いてきます。
その経緯を、公表されている範囲でまとめました。
【考察】なぜ治療中に「毎朝撮る」を選んだのか
ここからは編集部の考察です。
結論から言うと、
作品を作りたかったからではなく、仕事に戻りたかったからだと考えています。
順番が逆なのです。
理由1:本人が「リハビリ」と言っているから。
関西テレビの取材で保山さんは、
毎朝撮り始めたのは職場復帰したいから、体力を付けるためのリハビリだったと語っています(関西テレビ)。
芸術活動としてのスタートではありません。
理由2:失ったものが仕事だったから。
同じ取材で「仕事は全部なくなって、何にもなくなった」と述べています。
フリーランスにとって、
長期の離脱はそのまま収入と居場所の消滅です。
さらに保山さんは「自分に友達が一人もいないっていうことも分かって」とも語っています。
仕事と一緒に人間関係まで消えた状態だった、ということです。
取り戻す対象がはっきりしていたわけです。
理由3:ほかにやることがなかったから。
保山さんは「30年以上、仕事しかしてへんかったから、自分には撮影することしかやることがなくて」とも話しています。
趣味や交友でなく撮影に向かったのは、
手持ちの選択肢がそれだけだったという説明が本人から出ています。
理由4:回復への期待を捨てていなかったから。
「1%、2%また奇跡みたいなことが起きたら、体が元に戻ったら」という言葉が残っています。
病気を克服したら元の現場に戻れる、
そう思うから続けている——という言い方です。
諦めの記録ではなく、
復帰を前提にした行動として始まったことが分かります。
いまの作品群は、
その副産物として生まれたことになります。
理由5:撮る条件が変わったから。
テレビの現場では「これを見て視聴者はこう思うやろ」と考えながら撮っていた、
と本人が振り返っています。
いまは台本もディレクターもいない。
結果として風景そのものに向き合える状態になりました。
理由6:奈良が「毎朝行ける距離」にあったから。
自宅は生駒で、
撮影地は奈良市内の社寺や春日大社周辺です。
始発列車で行って戻れる範囲に被写体がある——
これは体調が読めない人にとって決定的な条件だったはずです。
遠征が必要な題材だったら、
毎朝という頻度は成立しませんでした。
奈良という土地の選択は、
体の事情と切り離せないと考えられます。
以上はあくまで編集部の考察・推測です。
本人が「こういう理由で選んだ」と体系立てて説明しているわけではありません。
診断の経緯と告げられた数字
報じられている内容を整理します。
| 病名 | 直腸がん(末期) |
| 診断時期 | 2013年ごろ |
| そのときの年齢 | 50歳 |
| 手術しない場合 | 余命1〜2か月と説明された |
| 再発した場合 | 5年生存率は5%と告げられた |
| 治療 | 抗がん剤治療を経て、後遺症と付き合う日々 |
宣告を受けたときの心境も語られています。
「なんて自分の人生は短いんやろ」、
「思っていた何十分の1」、
「もう終わりなんや、俺」——。
フリーのカメラマンとして活躍している最中の診断でした。
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※番組で描かれる奈良の季節を紙で味わいたい方へ。
いまも残っている後遺症
治療が終われば元通り、とはなっていません。
関西テレビの特集で紹介されている後遺症は具体的です。
- 頭痛とめまいが襲う
- 直腸を摘出したため排便をコントロールできない
- それでも毎朝、生駒から始発列車で撮影に出る
三脚をかついで歩くという記述もあります。
撮影機材を持って移動する行為そのものが、
体への負荷を伴う作業だということです。
「時間=命」という言葉
保山さんの言葉として最もよく引かれるのが、
命の定義についての一節です。
あなたの命とは何かと問われたら、答えは一つで「私に残された時間」が「私の命」だ——。
そう語っています。
続けて、
「時間こそ命。自分に与えられた時間がなくなったら命もそこまで」、
「僕はいま、一日一生」とも述べています。
今日やれることを全部やって今日を終えたい、という言い方です。
病気が変えたのは「当たり前」の感覚
桜が咲くこと、
梅が咲くこと、
朝が来ること。
これらは当たり前に思えるけれど、
病気をしてから、それが当たり前ではないと分かったと保山さんは話しています。
季節が正しくめぐってくることが、どれだけ幸せか——。
七十二候という題材を選んだ理由が、
ここにつながって見えてきます。
よくある質問
Q1. 病名は何ですか?
末期の直腸がんです。
関西テレビの特集で明記されています。
手術をしなければ余命1〜2か月と告げられたとも書かれています。
Q2. いつ診断されたのですか?
2019年4月の記事に「6年前、ちょうど50歳のとき」とあります。
逆算すると2013年ごろです。
正確な診断日は公表されていません。
Q3. いまは完治しているのですか?
公表されている情報では、治療を続けながら活動していると説明されています。
2019年4月の記事の時点で後遺症と闘う日々と書かれており、
その後の経過について本人が公式に発表したものは確認できませんでした。
ここは推測で埋めるべきではない部分です。
Q4. 「5年生存率5%」はどういう意味ですか?
記事では「再発すれば、5年生存率は5%」と医師から告げられた、という形で書かれています。
診断時点の見通しそのものではなく、
再発した場合の数字として紹介されている点に注意が必要です。
Q5. 病気の話は番組で語られますか?
8月27日の映像詩は映像と音楽で構成される番組です。
番組表の紹介文にも病気への言及はありません。
闘病について本人が語った回としては、
公式サイトにNHK Eテレ「こころの時代」への出演が挙げられています。
Q6. 春日大社の枝垂れ桜とは何ですか?
保山さんが特別に大切にしている一本です。
南門の横にあり、
南門の朱色と石灯籠の苔の緑と合わせて「日本の桜の中で一番美しいと思う」と語っています。
毎年この桜が咲く日が、
本人にとって「特別な日」とされています。
「次の桜が撮りたいから」
関西テレビの特集タイトルは『次の桜が見たいから』でした。
本人の言葉は、
「次の桜がみたいから。次の桜が撮りたいから。頑張っています」。
見るだけでなく撮りたいと言い直しているのが、
この人らしいところです。
診断から10年以上が過ぎ、
作品はNHKの全国放送で繰り返し流れています。
8月27日の映像詩も、
その毎朝の積み重ねの延長線上にあります。
52分間、解説はほとんどありません。
そこに映るのは、
「当たり前ではない」と気づいた人が撮った季節です。
まとめ
保山耕一さんの病気は末期の直腸がん。
2013年、ちょうど50歳のときの診断でした。
手術しなければ余命1〜2か月、
再発すれば5年生存率5%と告げられています。
いまも頭痛・めまい・排便のコントロール困難という後遺症が残ります。
毎朝の撮影は作品づくりではなく、
職場復帰のためのリハビリとして始まりました。
その撮影が、2026年8月27日午前3時8分からのNHK総合、
映像詩「やまとの季節七十二候」につながっています。
放送日は木曜の未明です。