【結論】貴島孝雄さんは、マツダの“ミスターロードスター”と呼ばれる伝説の開発主査です。2代目・3代目ロードスターを率いた技術者です。
- 生まれ:1949年1月9日、徳島県吉野川市の出身
- 入社:1967年に東洋工業(現マツダ)へ
- 担当:トラック開発を経てRX-7や787Bにも関与
- 主査:2代目・3代目ロードスターを主導
7月11日放送の新プロジェクトX「市民に愛されたスポーツカー」に、マツダ・ロードスターの開発者として名前が挙がる貴島孝雄さん。
「貴島孝雄って何者?」「どんな経歴の人?」と気になった方へ、
この記事では公表情報をもとに、その歩みをたどります。
- 貴島孝雄さんの生い立ちと入社の経緯
- トラックからスポーツカーへと広がった技術屋人生
- ロードスターのどの世代を率いたのか
【考察】なぜ貴島孝雄は“ミスターロードスター”と呼ばれるのか
ここからは編集部の考察です。
結論から言うと、貴島さんが“ミスターロードスター”と呼ばれるのは、世代を越えて「人馬一体」という哲学を守り抜いた開発者だからだと見ています。理由を3つ挙げます。
理由①:複数世代を一貫して率いた。
貴島さんは1993年に初代ロードスターの主査を引き継ぎ、
その後の2代目・3代目まで開発の陣頭指揮をとりました(日経リスキリング)。
一台のクルマを長く見続けた技術者は多くありません。
理由②:技術屋としての幅が広い。
ロードスターだけでなく、RX-7やル・マン優勝車787Bといったマツダを象徴するクルマにも関わりました(Wikipedia)。
幅広い経験が、ロードスターの完成度を支えたと考えられます。
理由③:受け継ぎ、次へ渡す“橋渡し”だった。
生みの親・平井敏彦さんからバトンを受け、後の世代へつないだ立場でした。
この橋渡し役こそ、ロードスターが世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカーとして続く土台になったと予測します(GAZOO)。
貴島孝雄さんのプロフィール
貴島孝雄(きじま たかお)さんは、1949年1月9日生まれ。
徳島県吉野川市の出身で、若くしてものづくりの世界へ進みました。
| 氏名 | 貴島孝雄(きじま たかお) |
| 生まれ | 1949年1月9日/徳島県吉野川市 |
| 入社 | 1967年 東洋工業(現マツダ) |
| 代表作 | 2代目・3代目ロードスター、RX-7、787Bなど |
トラックから始まった技術屋人生
意外に思われるかもしれませんが、貴島さんのキャリアの出発点はスポーツカーではなくトラックの開発でした(Webモーターマガジン)。
大きな車両で培った設計の基礎が、のちの繊細なスポーツカーづくりにも生きたとされています。
その後、RX-7やル・マン24時間レースを制した787Bなど、マツダの技術力を象徴するクルマの開発にも携わりました。
「速さ」を突き詰める世界を知っていたことが、のちのロードスター哲学の裏打ちになっています。
とくに787Bは、日本の自動車メーカーとして初めてル・マン24時間レースで総合優勝を果たした伝説的なマシンです。
その開発現場を知る技術者が、量産スポーツカーであるロードスターにも関わっていた――
この「レースと市販車の両方を知る幅広さ」こそが、貴島さんの強みだったと言えます。
ロードスター主査としての歩み
貴島さんとロードスターの関わりは、初代のシャシー(車体骨格)設計から始まりました。
そして1993年、初代のエンジンが1800ccへ変わるタイミングで、生みの親・平井敏彦さんから主査(開発責任者)を引き継ぎます。
そこから貴島さんは、2代目(1998年)、3代目(2005年)と開発の最前線に立ち続けました。
速さよりも「乗って楽しい」を優先する「人馬一体」の思想を守り抜いたことが、ロードスターらしさを支えたと言われています。
なぜ番組で取り上げられるのか
ロードスターは「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネス世界記録に認定された名車です。
累計生産台数はすでに100万台を超え、更新を続けています(マツダ公式ニュースルーム)。
“非力な小さなスポーツカー”がここまで愛された背景には、貴島さんのように哲学を守り続けた開発者たちの存在があります。
7月11日の番組では、その舞台裏が描かれる見込みです。
放送は7月11日(土)よる8時7分からNHK総合、番組名は新プロジェクトX「市民に愛されたスポーツカー」です。
初代の車両設計を担った池水直行さん、現在の開発責任者・齋藤茂樹さんら、
世代の異なる開発者たちの名前も紹介される予定で、貴島さんはその中核をつないだ一人として位置づけられます。
「人馬一体」への強いこだわり
貴島さんの開発姿勢を語るうえで外せないのが、「人馬一体」という言葉です。
これは、馬に乗る人と馬が呼吸を合わせるように、クルマと運転手が一体になって走る感覚を大切にする考え方です。
数値上の速さやパワーを追い求めるのではなく、「操っていて楽しいかどうか」を重視する。
この一見遠回りに見える価値観を、貴島さんは主査として何年も守り続けました。
ロードスターは代を重ねても「軽く・小さく・楽しく」という芯がぶれませんでした。
その一貫性の裏に、貴島さんのような哲学を言葉にして次へ渡す技術者がいたことは、番組の見どころの一つになりそうです(GAZOO)。
よくある質問(Q&A)
Q1. 貴島孝雄さんはどんな人ですか?
マツダの元エンジニアで、2代目・3代目ロードスターを率いた開発主査です。「ミスターロードスター」とも呼ばれます。
Q2. いつマツダに入社しましたか?
1967年に東洋工業(現在のマツダ)へ入社しました。徳島県吉野川市の出身です。
Q3. ロードスター以外に何を手がけましたか?
キャリアの出発点はトラック開発で、その後RX-7やル・マン優勝車787Bなどにも関わったとされています。
Q4. いつから主査を務めたのですか?
1993年に平井敏彦さんから主査を引き継ぎ、2代目・3代目ロードスターの開発を主導しました。
Q5. 「人馬一体」とは何ですか?
クルマと乗り手が一体になったような操る楽しさを指すロードスターの設計思想で、貴島さんが大切に守ってきた考え方です。
Q6. なぜ番組で取り上げられるのですか?
ロードスターが世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカーとしてギネス世界記録に認定された名車で、その開発を長く支えた人物だからです。
Q7. ロードスターの累計生産台数はどれくらいですか?
2016年に累計100万台を達成し、その後も更新を続けています。長く愛され続けているクルマです。
まとめ
貴島孝雄さんは、トラック開発から出発し、ロードスターを世界的な名車へと育てた技術者です。
2代目・3代目の主査として「人馬一体」を守り抜いた歩みは、まさに“ミスターロードスター”の名にふさわしいものでした。
7月11日の新プロジェクトXでは、その情熱の物語が描かれそうです。