伊藤正吉(第二十一北洋丸)は何者?情熱大陸の鮭漁師の経歴と、死の淵から変わった船の率い方

【結論】伊藤正吉(いとう・まさよし)さんは、北海道斜里町の鮭漁師。「第二十一北洋丸」を率いる55歳で、若手中心の船をつくった人です。

TBS系「情熱大陸」の10月4日の放送は、
知床の海で秋鮭を追う12人の男たちがテーマ。
その船を率いるのが、有限会社北洋共同漁業部の代表・伊藤正吉さんです。
放送は2026年10月4日(日)よる11時15分〜11時45分です。

本記事はプロモーションを含みます。

  • 1971年、北海道釧路市生まれ(5歳で斜里町へ)
  • 中学時代はバレーボールで全国大会へ
  • 18歳で父に誘われ漁師の道へ
  • 43歳で重い肝臓の病気に倒れ、船の率い方を変えた
  • ブランド桜鱒「知床桜鱗」の生みの親
この記事で分かること
  • 伊藤正吉さんのプロフィールと経歴
  • 43歳の大病と、そこからの船の変化
  • 第二十一北洋丸と「鮭日本一の町」斜里
  • 10月4日「情熱大陸」の見どころ
目次

【考察】番組の核は「鮭が減る海で、漁を続けるために何を変えたか」

ここからは編集部の考察です。
30分の放送で描かれるのは、豊漁の喜びよりも、
鮭が戻らないかもしれない海で、伊藤さんが「獲る」以外の手を次々に打つ姿だと考えます。
そう考える理由を6つ挙げます。

理由1。今年の秋鮭は、始まる前から厳しいと言われているからです。
番組公式の紹介文は、昨年の秋鮭が約50年ぶりの「歴史的不漁」だったこと、
今年の来遊予想は昨年の半分程度と見込まれていることを最初に書いています(情熱大陸 公式)。
番組の問いは「今年、鮭は帰ってくるのか」です。

理由2。伊藤さん自身が「一度倒れた船頭」だからです。
北海道の移住・仕事メディア「くらしごと」によると、伊藤さんは43歳の7月7日に仕事中に倒れ、
「自己免疫性肝炎」と診断されて札幌の病院へ緊急搬送されました。
療養は1年半あまりに及んだそうです(くらしごと)。

理由3。倒れたあと、船を「誰がいなくても回る組織」に作り替えたからです。
同じ記事で伊藤さんは、昔は若い衆を怒鳴り、手をあげたこともあったと打ち明けています。
復帰後は持ち場をあえて入れ替え、一人ひとりができることを広げる方針に変えました。
番組公式が「究極のチーム戦」と書くのは、この変化の結果だと読めます。

理由4。乗組員がとても若いからです。
番組公式によると、乗組員12人のうち半数が30代以下。
若手が主導してSNSで「漁師あるある」を投稿し、漁のライブ配信もしています。
フォロワー数は番組公式で9万人超、くらしごと(2026年7月取材)では総フォロワー11万人超とされています。

理由5。魚の「売り方」でも結果を出してきたからです。
ブランド桜鱒「知床桜鱗」は、脂肪率8%以上などの基準を満たした魚だけを出荷します(北洋丸公式)。
くらしごとによると、初めて漁協に出した15匹は1匹も売れなかったものの、
地元の飲食店に無償で配って味を知ってもらい、2年目には魚が足りなくなるほどになったそうです。

理由6。鮭以外の挑戦が、すでに始まっているからです。
番組公式は、今年から昆布の養殖を始め、「昆布ジェラート」の開発も担っていると紹介しています。
くらしごとによると、昆布養殖の1年目は流氷や食害の影響で9割がだめになりました。
それでも続ける理由を、伊藤さんは「全ては漁業を続けるため」と語っています。

6つを合わせると、今回の放送は「大漁の感動物語」より、
不漁の時代に漁師という仕事をどう続けるかを見せる回になると予測します。
鮭が実際に戻ったかどうかは放送でしか分かりません。あくまで考察です。

伊藤正吉さんのプロフィール

項目内容
名前伊藤正吉(いとう・まさよし)
生まれ1971年、北海道釧路市(5歳で斜里町へ)
年齢55歳(番組公式の紹介時点)
高校東海大学第四高校(現・東海大学付属札幌高校)
会社有限会社 北洋共同漁業部(第二十一北洋丸)代表
所在地北海道斜里郡斜里町前浜町
主な漁サケ・マスの定置網漁、昆布の養殖

名前の英語表記は、番組公式では「Masayoshi Ito」です。
番組のタイトル表記は「鮭漁師 伊藤正吉/第二十一北洋丸」で、
情熱大陸ではVol.1422にあたります。

バレー少年から漁師へ|伊藤正吉さんの経歴

伊藤さんは中学時代、バレーボールに熱中しました。
斜里の代表として全国大会に出場し、その実力を買われて
札幌の東海大学第四高校へ推薦入学しています。
くらしごとによると、ポジションはコートの司令塔セッターでした。

夢は「大学を出て教員になり、バレーを教えること」。
しかし学費の工面に悩んでいたころ、父から「漁師をやらないか」と声をかけられ、
18歳で漁業の道へ進みました。
ホタテ漁や刺網を経て、母方が営んでいたサケ定置網漁の会社に入っています。

くらしごとによると、20代の終わりに親類の漁業部を継いだときには、
当時としては途方もない額の借金もあったそうです。
北洋丸の歩みは下の表のとおりです(北洋丸公式の会社概要より)。

年できごと
1949年(昭和24年)斜里町で漁業を始める
1952年(昭和27年)林漁業部、有限会社 林共同漁業部を設立
2018年(平成30年)有限会社 北洋共同漁業部へ社名変更
2020年(令和2年)新造船「第二十一北洋丸」を迎える
2022年(令和4年)自社工場を設立、加工品の製造・販売を開始
2023年(令和5年)ブランド桜鱒「知床桜鱗」の出荷・販売を開始

番組をきっかけに斜里の鮭を味わってみたい人は、
秋鮭を取り寄せてみてはいかがでしょうか。
▼ 秋鮭はこちらから探せます

※産地や在庫・価格はリンク先でご確認ください。

43歳の大病で変わった「船の率い方」

くらしごとの取材で伊藤さんは、若いころの自分を
「自分一人で何でもできるし漁も回せると思っていた」と振り返っています。
転機は43歳の夏。肝臓の数値が通常の約50倍に跳ね上がり、
家族は肝臓移植の可能性まで告げられたといいます。

ベッドの上で考えたのは「自分がいなくなったら、この会社はどうなるのか」。
復帰後は仕事を一人に集めず、わざと半分ほどを休ませて残りのメンバーで回すやり方に変えました。
取材に対し伊藤さんは「今はもう、誰がいなくても回りますよ」と笑っています。

行動力の源を聞かれた伊藤さんの答えは、
「死んだらゆっくりできるよなって思って。だから、死ぬまではゆっくりしないことにしたんです」。
一度死を覚悟した人ならではの言葉です。

10月4日「情熱大陸」の見どころ

取材は、秋鮭漁の解禁日9月6日から始まりました。
第二十一北洋丸の乗組員は12人。船長、船頭、機関士、潜水士、クレーン操縦士、
網を手繰る漁師たちが、それぞれの技術を持ち寄って動きます。

番組公式によると、伊藤さんは獲れた魚に「船上活締め」や「胃洗浄」をほどこし、
鮮度を保って付加価値をつける工夫もしています。
変わりゆくオホーツクの海で、北洋丸の秋がどうなるのかが最大の見どころです。

よくある質問(Q&A)

Q1. 伊藤正吉さんは何歳?

番組公式の紹介では55歳です。生まれは1971年です。

Q2. 出身はどこ?

生まれは北海道釧路市で、5歳で斜里町に移りました。

Q3. 出身高校は?

札幌の東海大学第四高校(現・東海大学付属札幌高校)です。バレーボールの推薦で入学しました。

Q4. どんな病気をしたの?

くらしごとの取材によると、43歳のときに自己免疫性肝炎と診断され、療養は1年半あまりに及びました。
現在の体調について、この記事では公表情報を確認できていません。

Q5. 結婚している?家族は?

くらしごとの記事には、北洋丸の広報担当が伊藤さんの娘さんの友人だと書かれています。
配偶者などそのほかの家族については、公表情報を確認できませんでした。

Q6. 第二十一北洋丸の魚は買える?

北洋丸公式サイトには通販の案内があり、道の駅などの自動販売機で刺身を売る取り組みも報じられています。
最新の販売状況は公式サイトで確認してください。

まとめ

伊藤正吉さんは、バレーで教員を夢見た少年から18歳で漁師になり、
43歳の大病をきっかけに若手が主役の船をつくった斜里町の鮭漁師です。
歴史的不漁が続く海で、ブランド魚や昆布養殖にも挑んでいます。

放送は10月4日(日)よる11時15分から、TBS系「情熱大陸」です。

参照リンク

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次