【結論】「歴代テクニシャン」9位に挙がった久保裕也は、代表13試合2得点。2018年のロシア大会は直前の監督交代を経てメンバー外となりましたが、26歳で米国へ渡った選択について本人は後悔はないと語っています。
- 9位は投稿者が独自に選んだ順位
- 代表通算は13試合2得点(2016年11月〜2018年3月)
- 2018年5月の候補27人から外れ、最終23人にも入らず
- 2020年1月、26歳で米国のシンシナティへ
- 2026年3月3日に32歳で現役引退を発表
SNSで「日本代表歴代テクニシャン」の第9位として紹介されたのが、元日本代表FWの久保裕也です。
紹介では「正真正銘の消えた天才」と呼ばれ、ハリルホジッチ監督の解任後にロシア大会のメンバーから外れたことが「分岐点」だったとまとめられていました。
本当にそうだったのでしょうか。
この記事では、公式記録と本人のインタビューをもとに、落選の前後で何が起きたのかを整理します。
- ロシア大会の落選が「分岐点」だったのかという編集部の予想
- 2018年5月18日と31日、メンバー発表で何があったか
- 代表13試合2得点の中身と、32歳で引退するまでの歩み
【考察】久保裕也のW杯落選は本当に分岐点だったのか
ここからは編集部の予想です。
結論から言います。
落選は分岐点の「入口」にすぎず、本当の分岐点はその後の約2年間で、本人が欧州から米国へ道を選び直したことだと私は読みます。
「消えた」のではなく、自分で進路を変えたと見るほうが、記録と本人の言葉に合っています。
理由1:5月18日の時点では「戦力」と明言されていた
2018年5月18日、西野朗監督はガーナ戦に向けた27人を発表し、久保はそこに入りませんでした。
ただし会見では、所属クラブの日程を挙げたうえで「追加招集も十分に考えています」と話しています(フットボールチャンネル)。
同じ会見について、「戦力として考えているが、27日までクラブでプレーオフのシビアな戦いがある」と会見の趣旨をまとめた報道もあります(ゴール)。
それでも5月31日の最終23人に名前はありませんでした(Jリーグ公式)。
一方で本人は、4月に新監督が欧州で候補選手と会った際に自分は会っていなかったと話しています(ナンバー)。所属クラブの日程が終わって日本へ戻った後も、追加招集はありませんでした(ナンバー)。
評価は揺れていたものの、会見の言葉どおりなら完全に構想外だったとも言い切れません。扉が最終的に閉じたのは5月31日で、ここで終わったのは「ロシア大会」という一つの舞台でした。
理由2:本人が語る「焦り」は落選の前から始まっていた
2026年5月に公開されたインタビューで、久保は当時の自分について「所属チームで求められていることに向き合えなくなっていました」と振り返っています(ナンバー)。
結果を残すことばかり考え、焦っていたという説明です。
本人のYouTubeでも、大会前の親善試合で自分の出来が良くなかったこと、今は自分の実力不足だったと受け止めていることを話しています(久保裕也公式YouTube)。
監督交代という外の出来事だけでなく、本人の内側の揺れも同じ時期に重なっていたと読めます。
理由3:26歳での米国行きを本人は「後悔はない」と語る
落選のあと、ドイツ1部のニュルンベルクへ1シーズン期限付きで移籍しましたが、チームは最下位に終わり、ヘントへ戻りました(ナンバー)。
そして2020年1月、26歳で米国へ。代理人に欧州復帰を打診されても「いや、アメリカでイイっす」と答えるようになったといいます(ナンバー)。
さらに別の回では「この道を選んだことに全く後悔はないというか」と話しています(ナンバー)。
日本代表やチャンピオンズリーグを目指す路線から外れたのは、本人が選んだ結果でもあったわけです。
だから私は、落選を「天才が消えた瞬間」とは見ません。
落選で一つの扉が閉じ、2年後に自分で別の扉を開けた。分岐点は一点ではなく、この流れ全体だと考えます。
もちろん、これはあくまで予想であり、断定ではありません。
久保裕也とは?代表13試合2得点の元日本代表FW
久保裕也は1993年12月24日生まれ。京都サンガの育成組織出身で、2011年に高校生ながらトップチームへ昇格しました(サッカーキング)。
ルーキーイヤーにJ2で30試合10得点を挙げ、天皇杯の決勝進出にも貢献しています。
| 時期 | 所属・出来事 |
|---|---|
| 2011年 | 京都サンガでトップ昇格(高校生) |
| 2013年夏 | スイスのヤングボーイズへ(4年で公式戦137試合39得点) |
| 2016年11月 | 日本代表デビュー |
| 2017年1月 | ベルギーのヘントへ |
| 2018年5月 | ロシア大会のメンバー外 |
| 2020年1月 | 米国のシンシナティへ(6季で公式戦179試合19得点) |
| 2026年3月 | 現役引退を発表 |
代表では2012年2月に高校生で初招集され、デビューは2016年11月。
ハリルホジッチ監督のもとで2016年から2018年にかけて継続して呼ばれ、国際Aマッチ13試合2得点を記録しました(サッカーキング)。
2得点はどちらも2017年3月の最終予選です。
アウェーのアラブ首長国連邦戦で前半14分に代表初ゴール(日本サッカー協会)、続くタイ戦では57分に左足のミドルシュートを決めました(日本サッカー協会)。
▼ 久保がプロの第一歩を踏み出した京都サンガのグッズはこちらから
※在庫・価格は変動します。リンク先でご確認ください
2018年5月、ロシア大会のメンバー発表で何があったか
2018年4月、大会まで約2か月の時点でハリルホジッチ監督が解任され、西野朗氏が4月9日に就任しました(ナンバー)。
久保にとっては、自分を主力として起用してきた監督が本大会の直前でいなくなったことになります。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2018年3月 | マリ戦・ウクライナ戦に出場(代表最後の2試合) |
| 4月9日 | 西野朗氏が監督に就任 |
| 5月18日 | ガーナ戦の27人を発表。久保は入らず |
| 5月31日 | 本大会の23人を発表。久保は入らず |
5月18日の発表では、ハリル体制で呼ばれていたのに外れた選手の一人として久保(ヘント)の名前が挙げられました(サッカーキング)。
一方で監督は、先に触れたとおり追加招集の可能性にも言及していました。
最終23人のFWは岡崎慎司、大迫勇也、武藤嘉紀の3人でした(Jリーグ公式)。
最終的に久保を選ばなかった理由について、監督が詳しく説明した記録は確認できていません。
「消えた天才」と呼ばれる理由と、本人の受け止め方
「消えた天才」という呼び方は、紹介した投稿者の表現です。
背景には、代表で結果を出した直後に大舞台を逃したという落差があると考えられます。
本人は落選直後の気持ちを、「当初は『なんでだよ? W杯予選でも結構やれたのに!』みたいに感じていました」と明かしています(ナンバー)。
当時は自分以外のせいにする「他責思考」だった、とも振り返っています。
2016年のリオ五輪でも、最終メンバーに選ばれながら所属クラブが派遣を認めず、出場できなかったと報じられています(ナンバー)。
五輪とW杯、二つの大舞台を続けて逃したことが、「悲運の選手」という印象を強めているのかもしれません。
それでも米国では、慣れないボランチやサイドバックも任されながら6シーズンプレーを続けました(ナンバー)。
引退発表では「熟考の末、プロサッカー選手としてのキャリアに一区切りをつける決断をしました」とつづっています(フットボールチャンネル)。
久保裕也のW杯落選と引退に関するQ&A
Q1. 「歴代テクニシャン」9位は公式のランキングですか?
いいえ。SNSの投稿者が独自に選んだ順位です。
日本サッカー協会などが発表したものではありません。同じシリーズの10位には清武弘嗣が挙げられていました。
Q2. 久保裕也の代表成績は?
国際Aマッチ13試合2得点です(サッカーキング)。
日本サッカー協会の試合記録で確認すると、13試合のうち先発が8試合、途中出場が5試合でした(デビュー戦は日本サッカー協会)。
Q3. なぜロシア大会のメンバーに入れなかったのですか?
5月18日の候補発表では、監督が所属クラブの日程を理由に挙げ、追加招集の可能性にも触れていました。
ただ、最終23人を決めた理由の詳しい説明は確認できていません。本人は自身の当時の状態も振り返っていますが、理由は一つに断定できません。
Q4. 久保裕也はいつ引退しましたか?
2026年3月3日に、自身の公式Instagramで現役引退を発表しました(サッカーキング)。
発表時は32歳。2025シーズン限りでシンシナティを退団していました(サッカーキング)。
Q5. 考察の内容は事実ですか?
いいえ。考察は編集部の予想です。
公式記録と本人のインタビューをもとに組み立てていますが、本人や関係者が「分岐点はここだった」と認めたものではありません。
今後の見通し
久保は引退後も米国を拠点に活動しており、永住権も取得していると話しています(ナンバー)。
現在は自身のYouTubeチャンネルで、代表時代やリオ五輪の舞台裏を語る動画を公開しています(久保裕也公式YouTube)。
同じインタビューでは、米国のリーグと日本人選手をつなぐ仕事にも関心を示していました(ナンバー)。
「歴代テクニシャン」シリーズで名前が挙がったことで、現役時代のプレーを改めて振り返る人も増えそうです。
まとめ
- 「歴代テクニシャン」9位は投稿者の主張で、公式の順位ではない
- 代表成績は13試合2得点、2得点はいずれも2017年3月
- 5月18日は監督が追加招集に言及したが、5月31日の23人には入らず
- 本人は米国行きについて後悔はないと語っている
- 分岐点を「落選後の進路選び」と見るのは編集部の予想
「消えた天才」という言葉だけを見ると、悲しい物語に聞こえます。
けれど公式記録と本人の言葉を並べると、大舞台を逃したあとも自分で道を選び、走り切った選手の姿が見えてきます。