【結論】後藤圭司さんは、18年間の競輪選手生活を経て柔道整復師になった人です。今は整骨院を経営しながら、Mr.Childrenなどのライブに帯同しています。
- 1973年生まれ、12月19日生まれの元競輪選手(登録番号013189・78期)
- 生まれは熊本県。育ったのは静岡県裾野市で、公式プロフィールの表記は「静岡県裾野市出身」
- 1996年にプロデビューし、2014年9月29日に引退
- 現役中に柔道整復師の資格を取得し、引退と同じ2014年に整骨院を開業
- 放送は2026年8月24日(月) 22:54〜 日本テレビ
日本テレビ「Switch-背中を押してくれたあの人-」に、後藤圭司さんという名前が出ています。
肩書きは元競輪選手の柔道整復師。
この2つがどうつながるのか、番組の紹介文だけでは分かりません。
公開されている情報から、人物像を整理します。
- 後藤圭司さんの生年月日と出身地
- 競輪選手としてのプロフィール
- 現在の3つの仕事
- なぜこの番組に呼ばれたと考えられるか
【考察】なぜ後藤圭司さんが「転身の見本」として選ばれたのか
ここからは編集部の考察です。
元アスリートが第二の職業に就いた話は、それ自体は珍しくありません。
それなのに後藤さんが番組に呼ばれるのは、転身したという結果ではなく転身のやり方のほうに理由があると考えます。
結論から言うと、
後藤さんは「引退してから次を探した人」ではなく「引退する前に次を作り終えていた人」だからだと見ています。
順番が普通と逆なのです。
そう考える理由を6つ挙げます。
理由1:資格を「現役のうちに」3年かけて取っている
後藤さんは柔道整復師の学校に、選手を続けながら3年間、夜間で通っています(日本の資格・検定)。
引退後に学び直したのではありません。
レースに出ながら、夜に学校へ通っていたということです。
この時点で、引退が現実になる前に手が打たれています。
理由2:店を開いたのが引退より先だった
ここが最も特徴的な点です。
「ボディメンテナンス整骨院」がオープンしたのは2014年、まだ現役だったときでした。
本人も「オープン当初は現役でした」と語っています。
そして整骨院をオープンした年に選手を引退しています。
普通は引退が先で開業が後ですが、後藤さんは逆です。
収入の受け皿が先にできていたことになります。
理由3:資格を取った動機がセカンドキャリアではなかった
意外なのが、きっかけの部分です。
後藤さんは「最初は自分の身体のためでもありました」と話しています。
怪我をして病院や鍼、整体に行っても、医師や施術者に症状の詳細を伝えられない。
それを伝えるために勉強しようと思ったのが出発点でした。
将来設計から入ったのではなく、目の前の困りごとから入っている点が違います。
理由4:選手のまま「社会人経験」を先に積んでいる
後藤さんは接触のペナルティで1カ月の出場停止になったとき、妻のすすめで近所の自転車屋で時給950円のアルバイトをしています。
当時の平均年収は2,000万円程度だったといいます。
「いらっしゃいませ」も言えず、電話の取り方も分からなかったと本人が振り返っています。
この経験を1年間続けたことが、引退後にいきなり社会へ出る形を避けさせたと考えます。
理由5:自分の苦労を「仕組み」に変えている
2024年に開いた2号店「fimm/eyja」は、スタッフが全員、現役または元アスリートです。
本人は「僕自身がアスリートの”潮どき”について苦労したところもあった」ため、この店がセカンドキャリアのきっかけや新しい働き口になればという思いで作ったと語っています。
自分が困ったことを、他人が困らない仕組みに変えているわけです。
個人の成功談で終わっていない点が、番組向きだと見ています。
理由6:番組テーマと本人の言葉が一致している
番組名は「背中を押してくれたあの人」です。
そして後藤さんは、自身の半生を語ったインタビューを「きっかけをくれるのは、人との出会いなんです」という言葉で締めています(another life.)。
番組が探しているテーマを、本人が10年以上前から同じ言い方で語っていたことになります。
企画との相性という意味で、これ以上ないと考えます。
ここから先は予測です。
番組では誰が背中を押したのかが語られるはずですが、その人物名は放送前の情報には出ていません。
後藤さんの過去のインタビューには中学時代の担任、憧れの先輩選手、妻など複数の候補が登場します。
誰が選ばれるかは、放送を見るまで分かりません。
以上はあくまで編集部の考察です。
後藤さん本人や番組側が出演理由を説明した記述は確認できていません。
後藤圭司さんの基本プロフィール
まず、確認できる基本情報を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 後藤 圭司(ごとう けいじ) |
| 生まれ年 | 1973年 |
| 誕生日 | 12月19日 |
| 出生地 | 熊本県 |
| 公式表記の出身 | 静岡県裾野市 |
| 競輪登録番号 | 013189 |
| 期別 | 78期 |
| 脚質 | 追(追い込み) |
| 選手生活 | 1996年〜2014年 |
| 現在の肩書き | BMKG株式会社 代表取締役/柔道整復師 |
整骨院の公式サイトには、「12月19日生まれ、静岡県裾野市出身」と記載されています。
一方でご本人が語った半生記によると、生まれたのは熊本県です。
この差については、次の見出しで説明します。
なお、後藤さんが取得した柔道整復師は国家資格です。
番組を見て資格そのものに関心を持った方向けに、入門書や過去問題集を探せるリンクを置いておきます。
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※取り扱いや価格は変動します。リンク先でご確認ください。
熊本生まれ、静岡育ち。4回の引っ越しで競輪に出会った
後藤さんの子ども時代は、引っ越しの連続でした。
| 時期 | 住んだ場所 |
|---|---|
| 誕生 | 熊本県 |
| 幼稚園 | 香川県 |
| 小学2年 | 愛知県 |
| 小学5年 | 静岡県裾野市 |
| 中学卒業後 | 実家を出て東海大一高校へ |
もともと目指していたのはプロ野球選手でした。
ところが小学5年で静岡県裾野市に移ると、本格的な野球チームがなかったため野球をやめてしまいます。
そんなときにテレビで自転車のレースを見て、優勝者が掲げる賞金ボードの金額が3000万円近くだったことに衝撃を受けます。
父親に聞いて「競輪だ」と教わり、その日から競輪選手を目指し始めました。
中学では部活に入らず、となり町の沼津市のロードレースチームに所属。
毎日放課後に30キロほど走っていたといいます。
裾野市が「出身」として書かれるのは、この競輪選手になる原点がこの土地にあるためだと考えられます。
現在は3つの顔を持っている
引退から10年以上が経ち、後藤さんの仕事は複数にまたがっています。
1. 整骨院・コンディショニング施設の経営者
BMKG株式会社の代表取締役を務めています。
1店舗目は新豊洲MIFA Football Park内の「ボディメンテナンス整骨院」。
2店舗目は2024年に晴海フラッグ内へ開いた「fimm/eyja(フィムノエイヤ)」で、こちらは運動ベースのコンディショニングルームです。
2. アーティストのツアートレーナー
整骨院の仕事と半々くらいのボリュームを占めるのが、ライブ帯同です。
現在はSEKAI NO OWARI、SKY-HI、Mr.Childrenの桜井和寿さんのボディトレーナーとして帯同していると語っています。
3. プロアスリートのコンディショニング
一般の方からプロアスリートまで施術しており、本人は「カラダコンサル」という呼び名がしっくりくると話しています。
なお2015年時点のインタビューでは、バーベキュー場などを運営するワイルドマジックのプロデューサーも務めていました。
誤解しやすい点
| 誤解されやすい書かれ方 | 確認できること |
|---|---|
| 静岡県裾野市で生まれた | 生まれは熊本県。裾野市は小学5年から住んだ土地 |
| 引退してから資格を取った | 現役中に3年間、夜間学校で取得している |
| 引退してから開業した | 整骨院オープン時はまだ現役。開業した年に引退した |
| ケガで強制的に引退した | 大きな怪我は要因の一つだが、報酬の減額や家族の事情も本人が挙げている |
| 柔道の選手だった | 柔道整復師は国家資格の名称。柔道の競技歴とは別 |
よくある質問
Q1. 後藤圭司さんは何歳ですか?
1973年生まれで、誕生日は12月19日と公表されています。
2026年8月24日の放送時点では52歳という計算になります。
Q2. 結婚していますか?
はい。インタビューのなかで妻について繰り返し語っています。
東京へ出る決断や、自転車屋でのアルバイトも妻のすすめでした。
ただしお名前や結婚時期は公表されていません。
子どもがいることにも触れていますが、人数や年齢の記載はありません。
Q3. なぜ競輪選手をやめたのですか?
本人が挙げている要因は複数あります。
鼻や目の周りの骨が折れる大怪我、脳挫傷や肺挫傷の経験、競輪業界の不況による報酬の減額、そして子どもを東京で教育させたいという妻の意向です。
もともとは70歳まで現役を続けるつもりだったと語っています。
Q4. 整骨院はどこにありますか?
1店舗目は新豊洲のMIFA Football Park内にある「ボディメンテナンス整骨院」です。
2店舗目の「fimm/eyja」は東京都中央区晴海のHARUMI FLAG内にあります。
Q5. 有名な選手だったのですか?
最高位はS級まで到達しています。
ただしG1などの特別競輪への出走履歴は記録されていません。
本人も「S級とA級を行ったりきたりしてました」と語っており、トップ中のトップという立ち位置ではありませんでした。
Q6. 放送はいつですか?
2026年8月24日(月)22時54分から23時00分、日本テレビの「Switch-背中を押してくれたあの人-」です。
ナレーターは中村悠一さんが務めています。
6分間の短い番組です。
まとめ
後藤圭司さんは1973年生まれ、熊本県で生まれて静岡県裾野市で育った元競輪選手です。
1996年から2014年まで18年間走り、現役のまま柔道整復師の資格を取り、現役のまま整骨院を開業しました。
現在はBMKG株式会社の代表として2店舗を経営しながら、Mr.Childrenの桜井和寿さんらのライブに帯同するトレーナーとしても活動しています。
2026年8月24日(月)22時54分からの日本テレビ「Switch」で、その転機が語られます。