【結論】後藤圭司さんの競輪選手時代の年収は、平均で2000万円程度でした。それが不況で3分の1まで減ったことが、引退の一因になっています。
- A級に上がった時点で、勝ち上がらなくても年収は1000万円超だった
- 本人が語る「当時の平均年収」は2000万円程度
- 業界の不況で、同じ等級のまま報酬が3分の1ほどに減った
- 1カ月の出場停止中は、時給950円のアルバイトをしている
- 放送は2026年8月24日(月) 22:54〜 日本テレビ
競輪選手は稼げる職業というイメージがあります。
実際、後藤圭司さんも一時は年収2000万円という水準にいました。
それでも本人は「リスクに見合わない」と判断して引退しています。
お金の面から、その経緯をたどります。
- 等級ごとの収入の変化
- 報酬が3分の1に減った背景
- 収入がゼロになる制度
- 時給950円で働いた1カ月の話
【考察】2000万円もらっていた人が、なぜ「割に合わない」と感じたのか
ここからは編集部の考察です。
年収2000万円という数字だけを見れば、辞める理由は見当たりません。
それでも後藤さんは「そのリスクに見合わない」と考えました。
結論から言うと、
減ったのは金額だけで、危険の量は1ミリも減らなかったからだと考えます。
収入とリスクの釣り合いが崩れた、ということです。
そう考える理由を6つ挙げます。
理由1:本人が「価値」の問題として語っている
まず、後藤さんの受け止め方が金額の話にとどまっていません。
「プロとして、報酬は自分自身の価値を表すもの」という前提を持っていました。
だからこそ報酬が大幅に減ったことを、自分自身の価値が低く見積もられていると感じたと語っています(another life.)。
生活できるかどうかではなく、評価の話として受け取っていたわけです。
理由2:減額が「自分の成績のせい」ではなかった
ここが重要な点です。
報酬が下がったのは、後藤さんの成績が落ちたからではありません。
同じ等級にいても、報酬は3分の1ほどになったと語っています。
原因は競輪業界の不況でした。
自分の努力では取り返せない下がり方だった、ということになります。
理由3:競技の危険度はまったく変わっていない
収入が3分の1になっても、走る条件は同じままです。
競輪は生身のまま70キロ以上のスピードで走る競技だと本人が説明しています。
レース中の速度については時速60〜65kmという記述もあります。
そしてレース中に亡くなる人もいると書いています。
報酬だけが3分の1になり、危険はそのまま。
この非対称が判断の核心だと見ています。
理由4:自分の走り方が特にリスクの高い型だった
さらに個別の事情があります。
後藤さんは自分のプレースタイルを「周りの選手と接触することが多いハイリスクなもの」と説明しています。
実際、脳挫傷や肺挫傷、鼻や目の周りの骨が折れる大怪我を経験しています。
平均的な選手より、危険側に寄っていたということです。
理由5:収入が突然ゼロになる制度がある
年収の数字には表れない不安定さもあります。
接触があるとペナルティが加算され、1カ月出場停止になって収入がなくなることがあると本人が説明しています。
加えて競走得点という仕組みがあり、該当期間に連続で目安点を下回ると資格剥奪。
しかも1度資格を失ったら、二度とチャンスを得ることはできない世界だといいます。
年収2000万円は、いつでもゼロになりうる2000万円でした。
理由6:稼ぐ手段が他にもあると知ってしまった
最後に、比較対象ができたことが大きいと考えます。
出場停止の1カ月、後藤さんは時給950円で自転車屋のアルバイトをしました。
そこで接客や仕入れ、掛け率といったノウハウを学び、最終的にはグループ内でトップの売り上げを出しています。
この仕事が面白くて1年間続けたとも語っています。
命を懸けなくても成果が出せると知ったことが、天秤の反対側に乗ったと見ています。
ここから先は予測です。
番組が扱うのはキャリアチェンジなので、収入の話に触れる可能性はあると考えます。
ただし番組の紹介文に金額への言及はありません。
以上はあくまで編集部の考察です。
後藤さん本人が「収入が理由で辞めた」と述べた記述はありません。
語られているのは、怪我・報酬減額・家族の事情という複数の要因です。
競輪選手時代の収入を時系列で見る
公開されている数字を並べます。いずれも後藤さん本人が語った内容です。
| 時期・状況 | 収入 |
|---|---|
| 子ども時代に見たレースの優勝賞金 | 3000万円近く(賞金ボードの表示) |
| B級デビュー直後 | 「成績も下の下」。金額の記載なし |
| A級昇級後 | 勝ち上がらなくても年収1000万円超え |
| 当時の平均年収 | 2000万円程度 |
| 業界不況後(同じ等級) | 3分の1ほどに減額 |
| 1カ月の出場停止中 | 時給950円のアルバイト |
| 現在 | 公表されていない |
注目したいのは、3000万円という数字が出発点だったことです。
小学5年のとき、テレビで見たレースの優勝者が掲げていた賞金ボードに書かれていた金額でした。
この金額を見て「この仕事をしたい!」と思ったのが、競輪選手を志したきっかけです。
なお、競輪の賞金や選手の収入の仕組みについては、入門書が何冊も出ています。
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年収1000万円が「向上心」を奪った時期があった
高収入が、必ずしもプラスに働いたわけではありませんでした。
デビュー直後、後藤さんはS級の選手と一緒に練習する機会がありました。
そのときの差を「フェラーリと軽自動車で競争したくらいの差」と表現しています。
この経験で自分とは次元が違うと感じ、上を目指す向上心がなくなってしまったといいます。
ところがB級で優勝できなくても、評点でA級に昇級できてしまいました。
そして年収は1000万円超え。
後藤さんは「プロになること」が目的だったので、それで満足してしまったと振り返っています。
結果、練習は午前中で終わらせ、午後はプライベートに使うという生活が数年続きました。
本人はこれを「ぬるい生活」と表現しています。
時給950円のアルバイトで学んだこと
収入の話で最も印象的なのが、この場面です。
接触のペナルティで1カ月の出場停止になったとき、妻のすすめで近所の自転車屋で働くことになります。
年収2000万円程度から、時給950円への移動でした。
競輪選手であることは伏せていたため、状況は厳しいものでした。
- 年下の店長に顎で使われる
- 店に立っても「いらっしゃいませ」が言えない
- 電話の取り方も分からない
はじめは「やってられねえ……」と思ったといいます。
それでも本人は「天狗の鼻を折っていかないとならないんです」と受け止めました。
やがてどうやったら買ってもらえるのかを考えるようになります。
最終的には素性がバレてしまい、競輪選手を売りに自転車を営業したところ、グループ内でトップの売り上げになりました。
選手に復帰したあとも、この仕事は1年間続けたそうです。
後藤さんはこの経験を、アスリート全体の課題としても語っています。
「アスリートって、若くしてプロになっちゃうと社会不適合者……ということになり兼ねない」。
歳を重ねてから引退すると法人とは何か、株式会社とは何かが分からず、お金の使い方も分からないまま社会に出ることになる、という指摘です。
誤解しやすい点
| 誤解されやすい書かれ方 | 確認できること |
|---|---|
| 後藤さんの年収は常に2000万円だった | 2000万円は「当時の平均年収」という説明。A級昇級時は1000万円超 |
| 成績が落ちて報酬が減った | 同じ等級のまま減った。原因は業界の不況 |
| お金がなくなって辞めた | 本人はリスクとの釣り合いの問題として語っている |
| アルバイトは引退後の話 | 1カ月の出場停止中の出来事。現役のまま働いている |
| 現在の年収が分かる | 整骨院経営やトレーナー業の収入は公表されていません |
よくある質問
Q1. 競輪選手の年収はどのくらいですか?
後藤さんが語っているのは自身が現役だった当時の平均で2000万円程度という数字です。
ご本人はA級に上がった時点で年収1000万円超えだったと述べています。
これは2014年までの話で、現在の水準を示すものではありません。
Q2. なぜ報酬が3分の1になったのですか?
競輪業界の不況によるものだと説明されています。
退職金や報酬が大きく減額になり、同じ等級にいても報酬は3分の1ほどになったといいます。
個人の成績とは無関係の変動でした。
Q3. 出場停止になると収入はどうなりますか?
後藤さんは「1カ月出場停止になって収入がなくなることも」と説明しています。
接触があるとペナルティが加算される仕組みです。
実際にご本人も1カ月の出場停止を経験し、その間にアルバイトをしています。
Q4. 競走得点とは何ですか?
選手の成績を点数化した指標です。
後藤さんの説明によると、該当期間に連続で目安点を下回ると資格剥奪になります。
そして1度資格を失ったら、二度とチャンスを得ることはできないとのことです。
Q5. 通算成績はどうだったのですか?
競輪ステーションの選手データによると、通算出走1,459回・優勝7回です。
1着は146回、勝率は10%と記録されています。
最高位はS級で、引退時の級班はA級1班でした。
Q6. 放送はいつですか?
2026年8月24日(月)22時54分から23時00分、日本テレビの「Switch-背中を押してくれたあの人-」です。
ナレーターは中村悠一さんです。
まとめ
後藤圭司さんの競輪選手時代の年収は、A級昇級時で1000万円超、当時の平均で2000万円程度でした。
それが業界の不況により、同じ等級のまま3分の1ほどに減額されます。
危険度が変わらないまま報酬だけが減ったことで、後藤さんはリスクに見合わないと判断しました。
1カ月の出場停止中に経験した時給950円の仕事が、その後の転身を支えることになります。
2026年8月24日(月)22時54分からの日本テレビ「Switch」で、その転機が語られます。