【結論】関野吉晴さんは一橋大学で学んだあと医学部へ入り直し、現在は武蔵野美術大学の名誉教授を務める、学びの経歴が異色の人物です。
- 大学①:一橋大学(法学部・社会学部)
- 大学②:横浜市立大学 医学部
- 専門:社会人類学・医学
- 教員歴:武蔵野美術大学 教授(2002年〜)
- 現在:武蔵野美術大学 名誉教授
- 関野吉晴さんの出身大学
- 一橋大学から医学部への道のり
- 武蔵野美術大学での教員歴
- なぜ多くの学問を学んだのか
2026年7月13日(月)深夜の「クレイジージャーニー」に登場する関野吉晴さん。
「どこの大学出身なの?」「なぜ美大の教授なの?」と気になった人に向けて、学歴の歩みをまとめました。
なぜ多くの学問を渡り歩いたのか(編集部の考察)
ここからは編集部の考察です。
法学・人類学・医学、そして美大での教育——関野さんがいくつもの分野を渡り歩いた理由を、3つの視点で考えました。
1つ目は、「知りたいことが一つの学問に収まらなかったから」です。関野さんの関心は「人類はどこから来たのか」という大きな問いにあります(講演依頼.com)。文化も体も歴史も関わるこの問いには、一つの分野だけでは近づけなかったのでしょう。
2つ目は、「探検の現場に必要だったから」です。先住民と暮らすには文化人類学が、命を守るには医学が役立ちます。旅で出会う課題が、次に学ぶ分野を決めていったと考えられます。
3つ目は、「学びを人に伝えたかったから」です。関野さんは旅で得たものを武蔵野美術大学で教えてきました(Wikipedia)。自分が学んだことを次へ渡すために、最後は教育の場に立ったのではないか、と編集部は見ています。もちろんこれはあくまで推測です。
関野吉晴さんの学歴まとめ
関野さんの学びの歩みは、一橋大学から医学部、そして美大の教授へと続く、とても珍しいものです。
ひとつずつ順に見ていきましょう。
| 一橋大学 法学部 | 1975年 卒業 |
| 一橋大学 社会学部 | 社会人類学を学ぶ |
| 横浜市立大学 医学部 | 1976年入学・1982年卒業 |
| 武蔵野美術大学 | 2002年 教授就任 |
一橋大学で探検部を創設し、人類学を学ぶ
関野さんはまず一橋大学で学び、在学中に自ら探検部を創設しました(Wikipedia)。
その後は社会学部で社会人類学を学び、人間や文化への関心を深めていきます。
学生時代にはすでにアマゾンへの旅を始めていました。
横浜市立大学の医学部に入り直した
人類学を学んだあと、関野さんは横浜市立大学の医学部へ進みました(講演依頼.com)。
1976年に入学し、1982年に卒業して医師免許を取得しています。
大学を出てから改めて医学部に入り直すという、並外れた行動力がうかがえます。
2002年から武蔵野美術大学の教授に
関野さんは2002年に武蔵野美術大学の教授に就任しました(Wikipedia)。
ここでは文化人類学や人類史を教え、旅で得た学びを学生に伝えてきました。
美大で人類学を教えるという顔ぶれもまた、関野さんならではです。
現在は名誉教授として活動
現在の関野さんは、武蔵野美術大学の名誉教授という肩書きを持っています。
教壇を離れたあとも、講演や執筆、新たな探検を通じて学びを発信し続けています。
学ぶことと伝えることが、関野さんの人生の柱になっているといえます。
よくある質問(Q&A)
Q1. 関野吉晴さんの出身大学は?
一橋大学と、横浜市立大学の医学部です。
Q2. 何を専門に学んだの?
一橋大学で社会人類学を、横浜市立大学で医学を学びました。
Q3. どこの大学の教授だったの?
2002年から武蔵野美術大学の教授を務め、現在は名誉教授です。
Q4. なぜ医学部に入り直したの?
人類や探検の現場で医学の知識が必要だったためと考えられます。
Q5. 探検部に入っていたの?
一橋大学で自ら探検部を創設しています。
まとめ
関野吉晴さんは一橋大学から横浜市立大学医学部へ進み、武蔵野美術大学の教授になったという、非常に珍しい学歴の持ち主です。
人類学・医学・教育と、幅広い学びを重ねてきた歩みが魅力です。
7月13日の「クレイジージャーニー」で、その知性に裏打ちされた冒険に注目です。