【結論】野村宏さんは16歳で香川県の大島に渡り、74年暮らし続けている方です。
国立療養所大島青松園の入所者自治会副会長であり、
ハンセン病の歴史を伝える語り部として活動している方です。
- 1952年(昭和27年)、16歳で大島青松園へ入所
- 番組情報によれば島での暮らしは74年に
- 現在は入所者自治会の副会長
- 8人兄弟/妻も同じ島の入所者だった
- 島を「第二のふるさと」と呼んでいる
- 放送は8月30日(日)朝8時25分/NHK総合
- 野村宏さんが島へ渡った経緯
- 島での家族と結婚のこと
- 語り部として何を伝えているか
- 8月30日の放送内容
2026年8月30日(日)朝8時25分から、
NHK総合「Dearにっぽん」で
「“隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々」が放送されます。
登場するのは野村宏さん。
どんな方なのかを、公表されている情報から整理しました。
【考察】なぜ野村さんは“隔離の島”を「第二のふるさと」と呼べるのか
ここからは編集部の考察です。
国が強制的に人を閉じ込めた島を、
閉じ込められた本人が「第二のふるさと」と呼ぶ。
言葉としては、かなり奇妙です。
結論から言えば、
「ふるさと」が一つしか残らなかったからだと考えています。
理由1:帰る前提で送り出され、帰れなかったから。
NHKラジオ「明日への言葉」で本人が語ったところによれば、島へ渡るとき「新しい薬が出来たのですぐに帰ってこられる」と言われて送り出されています。
ところが実際には一生を島で終えることになりました。
戻る場所は、出発した時点ですでに失われていたことになります。
理由2:渡ったのが中学を卒業した直後だから。
本人は「大島に来たのは中学卒業したばっかりでした」と話しています。
16歳は、生まれ育った土地の記憶がまだ薄い年齢です。
人生の大半を島で過ごしたという単純な事実が、まず効いています。
理由3:家族との関係が制度によって切られたから。
野村さんは8人兄弟でしたが、隔離政策のもとで家族と引き離されました。
妻は中学2年で発病して島へ来た人で、実家からは「最初からいないものとしている」扱いを受けていたといいます。
元の家に「戻る」という選択肢が、そもそも用意されていません。
理由4:島で結婚し、島で生活を組み立てたから。
妻も同じ大島の入所者でした。
療養所の中には公会堂・売店・郵便局・宗教施設まであり、厚生労働省の公式ページは園内の様子を「あたかも村落のよう」と表現しています。
暮らしの単位が、島の中で完結する形になっていました。
理由5:奪われたものが多すぎて、残ったのが島だけだから。
本人は「妻が妊娠しましたが、堕胎されました」と語っています。
子どもを持つ道が閉ざされた以上、次の世代へ土地を渡すこともできません。
家族の連続性が断たれた状態で、場所だけが手元に残りました。
理由6:亡くなった仲間が全員そこにいるから。
大島青松園には納骨堂があり、開園以来2000人を超える入所者が園内で亡くなって葬られています。
その多くは遺族に引き取られていません。
島に眠る人の数を思えば、島は墓地でもあり共同体でもあります。
理由7:本名を名乗れなかった年月が長いから。
野村さんは「骨になっても本名を打ち明けていない」人がいると語っています。
火葬されても偽名のまま安置される――そこまで故郷とのつながりを切らざるを得なかった人たちがいたということです。
本名で生きられた場所が島だけなら、島が「ふるさと」になるのは自然です。
理由8:いま島を訪ねてくる人がいるから。
野村さんはKSB瀬戸内海放送の取材に「こうやって、大島を見てもらうだけでもありがたいこと。見て理解してもらうことが一番大事」とコメントしています。
閉じられていた島に、いまは人が入ってきます。
訪ねてもらえる場所になったことが、呼び方を変えたのではないでしょうか。
以上はあくまで編集部の考察・推測です。
野村さんご本人が「第二のふるさと」の理由をこの通り説明されたわけではありません。
野村宏さんのプロフィール
| 氏名 | 野村 宏(のむら ひろし) |
| 入所 | 1952年(昭和27年) |
| 入所時の年齢 | 16歳(中学を卒業した直後) |
| 島での年数 | 74年(番組情報) |
| 年齢 | 2025年1月放送のNHKラジオでは88歳と紹介 |
| 役職 | 大島青松園 入所者自治会 副会長 |
| 活動 | ハンセン病の歴史を伝える語り部 |
| きょうだい | 8人兄弟 |
| 家族 | 妻も大島青松園の入所者だった |
出身地については、公表されている資料で確認できませんでした。
大島青松園は岡山・広島・島根・山口・徳島・香川・愛媛・高知の
中国四国8県が連合してつくった療養所なので、
この範囲の出身である可能性は高い、という言い方までにとどめます。
▼ ハンセン病の歴史をもう少し知りたい方はこちらから
※野村さんご本人の著書ではありません。関連書籍を探す入口としてどうぞ。
16歳で島へ渡るまで
野村さんが大島へ渡ったのは1952年(昭和27年)です。
中学を卒業したばかりの16歳でした。
本人の言葉では「行って直してこい」と送り出されています。
1952年という年は、治療薬が普及し始めた時期と重なります。
厚生労働省の沿革によれば、大島青松園では1949年(昭和24年)からスルフォン剤による治療が予算化され、
全入所者への治療が始まっていました。
だからこそ「すぐ帰ってこられる」という説明が成り立ったわけです。
ところが「らい予防法」が公布されたのは翌1953年(昭和28年)8月。
治療法が確立したあとに、
隔離を続ける法律が新たにつくられたという順番です。
野村さんが島に着いた直後に、帰り道が法律で塞がれた形になります。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1909年(明治42年) | 中国四国8県連合の「第4区療養所」として開設 |
| 1941年(昭和16年) | 厚生省へ移管、「国立らい療養所大島青松園」に改称 |
| 1949年(昭和24年) | スルフォン剤による治療が予算化される |
| 1952年(昭和27年) | 野村宏さん(16)が入所 |
| 1953年(昭和28年)8月 | 「らい予防法」公布 |
| 1996年(平成8年)4月 | 「らい予防法」廃止 |
| 2001年(平成13年)5月 | 熊本地裁が国の隔離政策を違憲と判断 |
| 2026年8月30日 | NHK「Dearにっぽん」に登場 |
島での結婚と、生まれなかった子ども
野村さんの妻も、大島青松園の入所者でした。
中学2年生のときに発病して島へ来た人だといいます。
実家との関係については、本人が「最初からいないものとしている」と語っています。
そして、二人のあいだに子どもは生まれていません。
野村さんは「妻が妊娠しましたが、堕胎されました」と話しています。
これは個人の選択ではなく、
療養所で長く続いた断種・堕胎の扱いのなかで起きたことです。
語り部として伝えていること
野村さんは入所者自治会の副会長として、
島を訪れる高校生や見学者にみずからの体験を語ってきました。
KSB瀬戸内海放送の取材には、こう答えています。
「こうやって、大島を見てもらうだけでもありがたいこと。見て理解してもらうことが一番大事」
語られている中身は、けっして穏やかなものではありません。
強制隔離、家族との断絶、断種と堕胎、
そして死んでも本名を明かせないという現実です。
NHKラジオでは、火葬されて島に安置されたあとも
偽名のまま置かれている人がいることを語っています。
また野村さんは、国を相手取った裁判の原告の一人でもあります。
「明日への言葉」によれば、原告団には当時の大島青松園に暮らす
入所者のおよそ3割にあたる59人が名を連ねました。
熊本地裁が国の隔離政策を憲法違反と判断したのは2001年(平成13年)5月のことです。
いま大島青松園に何人が暮らしているか
| 昭和30年代 | 入所者は約700人 |
| 2024年8月1日時点 | 入所者29人/平均年齢86.7歳 |
| 開園以来の入所者数 | 3,923名(1999年10月時点の公式資料) |
| 園内で亡くなった方 | 1,970名(同上) |
| 退所者数 | 823名(同上) |
入所者は全員、ハンセン病そのものは治っています。
それでも後遺症と高齢化のため、医療と介護を受けながら島で暮らしています。
約700人が29人になった――この数字が、
「伝え遺す最期の日々」という番組タイトルの意味です。
8月30日の放送内容
| 番組 | Dearにっぽん |
| 回タイトル | “隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々 |
| 放送日時 | 2026年8月30日(日)午前8時25分〜8時50分 |
| 放送局 | NHK総合 |
| 登場する人 | 野村宏さん(大島青松園 入所者自治会副会長) |
番組情報の紹介文はこうです。
「香川県の大島。かつて国がハンセン病患者を強制収容した“隔離の島”だ。
悲痛な歴史を持つ島を『第二のふるさと』と呼び、
74年間暮らし続ける野村宏さん。その思いとは。」
よくある質問
野村宏さんは何歳ですか?
2025年1月に放送されたNHKラジオでは88歳と紹介されていました。
1952年に16歳で入所という情報と合わせると、
2026年8月時点では89〜90歳と見るのが自然です。
正確な生年月日は公表されていません。
大島青松園はどこにありますか?
香川県高松市庵治町の沖に浮かぶ大島にあります。
高松港から東におよそ8km、島の面積は61ha。
四国本土までの最短距離は約1kmしかありません。
ハンセン病はいまも感染しますか?
厚生労働省の説明では、治療開始後数日で感染性は失われます。
病状に応じて薬を投与すれば治癒する病気です。
大島青松園の入所者も全員、基本治療は終了しています。
野村さんに子どもはいますか?
いません。
本人が「妻が妊娠しましたが、堕胎されました」と語っています。
療養所で長く続いた扱いによるものです。
島に渡ることはできますか?
大島は瀬戸内国際芸術祭の会場のひとつで、
会期中には国内外から多くの見学者が訪れています。
園内の旧跡をめぐるガイドツアーもあります。
訪問の可否や方法は時期によって変わるため、公式の案内をご確認ください。
「らい予防法」はいつ廃止されましたか?
1996年(平成8年)4月1日です。
その後、入所者は「患者」ではなく「入所者」と呼ばれるようになりました。
まとめ
- 野村宏さんは1952年・16歳で大島青松園へ入所
- 島での暮らしは74年/現在は入所者自治会副会長
- 8人兄弟/妻も同じ島の入所者だった
- 国を相手取った裁判では原告59人の一人
- 入所者は約700人→29人(2024年8月1日時点・平均86.7歳)
- 放送は8月30日(日)朝8時25分/NHK総合
参照リンク
- NHKラジオ深夜便「明日への言葉」野村宏(大島青松園 自治会副会長)「人間を捨てた島」で、人が生きた証しをつなぐ(2025年1月・本人の発言/8人兄弟・堕胎・偽名・原告59人)
- KSB瀬戸内海放送「ハンセン病の歴史伝える大島も 高校生が『島の魅力』を発信 香川」(入所者数29人・平均86.7歳・本人コメント)
- 厚生労働省「国立療養所大島青松園」沿革/概況(1952年前後の治療体制・園内の生活・入所者統計)
- Leprosy.jp「国立療養所 大島青松園」(開設経緯・納骨堂・面積・所在地)
- 番組表.Gガイド「Dearにっぽん」2026年8月30日(NHK総合・番組情報)