【結論】甲子園のラッキーゾーンが撤去されたのは1991年12月です。資料で挙げられている背景は、国際規格の球場が増えたこと・高野連からの撤去提案・仮柵の安全性の3つでした。
@shougun0315 なぜ甲子園に昔あったラッキーゾーン無くなってしまったの?#野球
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- 登場は1947年5月26日。後楽園球場の広さに合わせた仮柵でした
- 撤去は1991年12月。ゾーン内にあったブルペンの移設を伴いました
- 資料で挙げられている背景は国際規格の球場の増加、高野連からの撤去提案、仮柵の安全性
- 両翼は設置当初85.4mまで縮み、現在は95mです
甲子園にラッキーゾーンと呼ばれる柵があった、という話を聞いたことがある方は多いと思います。
ただ、なぜ無くなったのかまでは意外と整理されていません。
本塁打が出やすい球場を、わざわざ元に戻した形だからです。
ここでは阪神甲子園球場の公式資料に残っている記述を軸に、いつ・なぜ消えたのかを順番に見ていきます。
あわせて、編集部としての読みも先にお伝えします。
- ラッキーゾーンが撤去された正確な時期
- 撤去を後押しした3つの事情と、その出どころ
- 設置当時と現在のグラウンドの広さの違い
- いま復活論がどう扱われているか
【考察】甲子園のラッキーゾーン撤去を最後に押したのは何だったのか
編集部の予想:撤去を動かしたのは球場の外側にあった事情とみます
撤去の理由を打球が飛ぶようになったから、だけで説明するのは不十分と考えています。
よく挙がる道具の進化と選手の体格向上は、資料のうえで撤去の直接の引き金として確認できませんでした。
確認できたのは国際規格化の流れ、高野連からの提案、仮柵の安全性の3つです。
飛距離の伸びは前提条件として置き、実際に球場を動かしたのは外側の事情だったと読みます。
背景として挙がる点1:まわりの球場が国際規格に揃っていった
1980年代に野球が夏季五輪の実施競技へ加わり、東京ドームをはじめ国際規格を満たす球場が各地に建てられました。
京都の西京極球場は1988年に先行してラッキーゾーンを撤去しています(ウィキペディア「ラッキーゾーン」)。
つまり甲子園は最初に外した球場ではなく、後から続いた側にあたります。
ここが「甲子園が独自に判断した」という見方と食い違う部分です。
背景として挙がる点2:撤去を提案したのは高野連の側でした
高校野球で金属バットが導入され、本塁打が増えたことを理由に、高野連が撤去を提案したと記録されています。
甲子園は阪神の本拠地であると同時に、春の選抜と夏の選手権という高校野球の会場でもあります(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
撤去を考えるうえで、高校野球との関係は無視できません。
議論の末に1991年限りでの撤去が発表された、という流れも同じ資料に残っています。
阪神側の判断だけで外したという筋書きとは、向きが逆になります。
背景として挙がる点3:仮柵ゆえにラバーが貼られていませんでした
飛距離とは無関係の理由もあります。
1977年に川崎球場で起きたフェンス衝突事故のあと、外野フェンスをラバーで保護することが義務化されました。
ところがラッキーゾーンはあくまで仮柵という扱いで、ラバーが貼られないまま残っていたと記録されています(ウィキペディア「ラッキーゾーン」)。
選手が守る場所に、ラバーで保護されていない金網が残っていた形です。
この一点だけでも、残し続ける理由は弱くなります。
この予想が外れるとすれば
外れる可能性があるとすれば、球場側にもともと撤去したい事情があった場合です。
実際、1979年ごろにも撤去案が議論され、浜風の影響が少ないレフト側だけ外す案まで出たものの、高校野球との兼ね合いで実現しなかった、という話が伝わっています。
この件は伝聞の形でしか確認できないため、ここでは断定しません。
ただ、10年以上前から案が出ていたのなら、1991年の決定は外圧だけで動いたとは言い切れなくなります。
公式サイトが撤去の理由を「時代の流れに合わなくなり」という短い言葉でまとめている点も、複数の事情が重なったことを示していると読めます(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
以上はあくまで予想であり、断定ではありません。
撤去の意思決定そのものを説明した公式文書は公開されていないため、判断材料は当時の記録に限られます。
ラッキーゾーンとは?1947年5月26日に登場した「仮柵」
ラッキーゾーンは、外野の内側に立てた柵と、その柵から本来のフェンスまでの空間を指します。
甲子園に登場したのは1947年5月26日でした。
球場公式は、設置の経緯をこう説明しています。
甲子園は野球以外のスポーツも楽しめるように設計されたためグラウンドが大きく、本塁打が出づらかった。
そこで後楽園球場の広さに合わせてフィールドを狭める仮柵を設置した、という流れです(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
効果ははっきり出ました。
1947年シーズンは設置までの36試合で柵越え本塁打が1本も出ていなかったものの、設置以降は閉幕までの77試合で60本を記録したと伝えられています。
数字だけ見ても、球場の性格が変わったことが分かります。
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撤去はいつ?1991年12月にブルペンごと動きました
球場公式の年表には「1991.12 ラッキーゾーンを撤去、それに伴いブルペンを移設」と記されています。
撤去日を12月5日とする記録もあります。
公式の年表は月までの表記にとどまります。
ここで見落とされがちなのが、ブルペンの位置です。
ラッキーゾーンの内側には投球ブルペンが置かれていました。
撤去にあわせて1塁側・3塁側のボックス席前のファウルグラウンドへ移され、ブルペンとベンチをつなぐ電話などの設備も新しく設けられています(阪神甲子園球場 これまでの歩み)。
数字で見る甲子園の広さの変化
時期によって基準が異なるため、比較できる3つの数字だけを並べます。
| 時期 | 両翼 | 備考 |
|---|---|---|
| 1947年 設置後 | 85.4m | 340フィートから280フィートへ短縮 |
| 展示フェンスの表示 | 91m | 甲子園歴史館にこのプレート付きで現存 |
| 現在 | 95m | 中堅118m・左右中間118m |
甲子園は左右中間が中堅と同じ118mという、いまでも屈指の広さです。
ラッキーゾーンがあった時代は、この形のまま手前に金網だけが立っていた状態でした。
撤去によって、ラッキーゾーンを含まない現在のフェアグラウンドの広さに戻った、と説明されるのはこのためです。
誤解されやすい3つのポイント
調べていると混ざりやすい部分を整理します。
- 両翼の数字が資料でばらつく…1936年の改修後、1976年の改装後で基準が違います
- 甲子園だけの設備ではない…西宮、神宮、西京極などにも同様の柵がありました
- いまのテラス席とは別物…座席を作る改修で、仮柵ではありません
特に3つ目は混同されやすい点です。
福岡PayPayドームのホームランテラスや、ZOZOマリンスタジアムのホームランラグーンは、フィールド内に観客席を作る形の改修でした。
本塁打を出やすくする狙いは共通していても、空き地を作るか、席を作るかという点が決定的に違います。
Q&A
Q1. ラッキーゾーンはいつからいつまであったのですか?
1947年5月26日から1991年12月までです。
およそ44年半にわたって甲子園のグラウンドに立っていた計算になります。
5月26日をラッキーゾーンの日とする紹介もありますが、日本記念日協会に認定された正式なものではないと説明されています。
Q2. なぜ最初は設置されたのですか?
甲子園が野球以外の競技も想定して設計されたため、グラウンドが広く本塁打が出づらかったからです。
戦前は1試合あたりの本塁打数が後楽園球場の10分の1以下だったとも伝えられています。
その差を埋めるために、後楽園の広さに合わせる形で柵が立てられました。
Q3. 撤去したのは阪神電鉄の判断ですか?
最終的に決めたのは球場の管理者ですが、高野連からの撤去提案があったと記録されています。
国際規格を満たす球場が増えていた流れも重なりました。
本記事の考察部分は編集部の予想であり、公式が理由を詳しく説明した文書は確認できていません。
Q4. 撤去された柵は残っているのですか?
一部が残されています。
甲子園歴史館には、91mのプレートを付けたままのフェンスの一部が展示されていると伝えられています。
兵庫県立西宮今津高校の中庭にも記念碑として立っているほか、愛知県立春日井西高校のグラウンドにも渡っていると紹介されています(ウィキペディア「ラッキーゾーン」)。
Q5. 撤去で阪神は強くなったのですか?
撤去翌年の1992年に成績が上向いたため、撤去がきっかけとされることもあります。
ただし因果関係を示した資料は見当たらず、断定はできません。
撤去が成績に影響したという見方もありますが、あくまで一つの解釈にとどまります。
Q6. いまも復活する可能性はありますか?
復活案が話題になることはありますが、球場からの正式な発表は確認できていません。
浜風の影響を受ける左打者の契約更改で話題に上がることがある、という指摘も残っています。
現時点では可能性の話にとどまると考えておくのが無難です。
今後の見通し
他球場では、フィールドを狭める改修が座席として実現しています。
楽天のEウィングが2013年、福岡PayPayドームのホームランテラスが2015年、ZOZOマリンスタジアムのホームランラグーンが2019年です。
いずれもフィールド内に観客席を設ける形で、本塁打が出やすくなる効果を持つ設備です。
甲子園で同じことをやろうとすると、話は簡単ではありません。
高校野球との関係もあるため、グラウンドの改修は単純には進めにくいと考えられます。
2024年8月1日に開場100周年を迎えた球場でもあり(阪神甲子園球場 これまでの歩み)、外観や構造に手を入れる判断は慎重にならざるを得ません。
復活の話が出ては消えるのは、この事情が大きいと考えています。
観戦に行くなら、応援グッズも先に見ておくと当日が楽になります。
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まとめ
甲子園のラッキーゾーンは1947年5月26日に登場し、1991年12月に姿を消しました。
後楽園の広さに合わせて狭めた仮柵が、44年半で役目を終えた形です。
資料上では、国際規格を満たす球場の増加、高野連からの提案、仮柵の安全性が撤去の背景として挙げられています。
打球が飛ぶようになったことは前提であって、決定打とは分けて考えたほうが実像に近いと感じます。
ゾーンの内側にブルペンがあり、撤去がその移設を伴った点も、あまり知られていません。
元に戻すのが簡単ではない理由は、当時の工事の中身にも表れています。
復活論を見かけたときは、この構造の話も一緒に思い出してみてください。