嵐山光三郎の編集者時代|平凡社『太陽』編集長からいいとも増刊号まで

【結論】嵐山光三郎さんは『太陽』の編集長だった人です。

作家として知られる方ですが、出発点は編集者でした。
1965年平凡社へ入社。
雑誌『太陽』『別冊太陽』のそれぞれで編集長を務めています。

そして1981年、平凡社を離れて青人社という会社を立ち上げます。
翌年には雑誌『月刊ドリブ』を創刊。
さらに同じ1982年から、『笑っていいとも!増刊号』にレギュラー出演することになるのです。
この記事では、その編集者人生をたどります。

本記事はプロモーションを含みます。

  • 1965年平凡社へ入社
  • 『太陽』『別冊太陽』のそれぞれで編集長
  • ヒット企画は「年賀状の図案特集」
  • 深沢七郎さんを師匠と呼んでいた
  • 1981年に独立して青人社を設立
  • 1982年から『笑っていいとも!増刊号』にレギュラー出演
  • 放送は8月29日(土)朝5時40分/NHK総合
この記事で分かること
  • 平凡社時代にやっていた仕事
  • 編集者が作家になれた理由の考察
  • 独立と『月刊ドリブ』創刊の経緯
  • テレビに出るようになったきっかけ

2026年8月29日(土)朝5時40分から、
NHK総合「NHK映像ファイル あの人に会いたい」
嵐山光三郎(作家)の回が放送されます。
番組情報の「飾らない人柄でテレビなどでも親しまれた」という一文は、この時期の話です。

目次

【考察】なぜ編集者が作家になれたのか

ここからは編集部の考察です。
編集者が書き手に転じる例は、そう多くありません。
それでも嵐山さんは、読売文学賞まで受けています。
結論から言えば、
「編集者として集めた人脈と素材が、そのまま書く材料になったから」だと考えています。

理由1:入った会社が変わっていたから。
入社した1965年の平凡社は「国民百科事典」の売り上げが絶好調でした。
先代社長の下中弥三郎さんが、他社で争議活動などにより問題となった編集者を集めていた経緯もあり、
編集部には奇人・変人・怪人が揃っていたと伝えられています。
普通でない書き手を見慣れる環境でした。

理由2:先輩がそもそも書き手だったから。
知遇を得た先輩編集者に、谷川健一さん、林達夫さん、難波律郎さん、西巻興三郎さんがいます。
谷川さんも林さんも、編集者であると同時に著作を残した人です。
身近に手本がありました。

理由3:作家と近い距離で仕事をしたから。
編集者として檀一雄さん、澁澤龍彦さんと親交を深めています。
とくに深沢七郎さんには強く影響を受け、「師匠」と呼んでいました
作家の仕事を、内側から見続けたことになります。

理由4:交友範囲が業界の外まで広かったから。
名前を挙げると、唐十郎さん、麿赤児さん、篠山紀信さん、南伸坊さん、糸井重里さん、篠原勝之さん、村松友視さん、山際淳司さん、坂崎重盛さん、鈴木いづみさん……。
演劇、写真、イラスト、コピー、スポーツノンフィクション。
ジャンルを横断する人脈が、そのまま企画になります。

理由5:作る側と組む経験を早くから積んだから。
1976年、広告会社から平凡社に来た安西水丸さんと合作絵本『ピッキーとポッキー』を刊行。
これが40年間で70万部近くのロングセラーになりました。
会社の仕事とは別に、自分名義の本を出す経験を早い時期にしています。

理由6:独立して自分の雑誌を持ったから。
1981年、平凡社が経営危機に陥ったとき、馬場一郎編集局長をトップに、筒井泰彦(筒井ガンコ堂)さん、渡邊直樹さんら部下を率いて独立。青人社を設立します。
1982年には『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊。
誌面を自分で決められる立場になりました。

理由7:文体で名前が立ったから。
雑誌「宝島」で連載した“チューサン階級の友”が人気を集めます。
カタカナやアルファベットを多用し、「…なのでR」のように書く独特の文章。
これが椎名誠さんらとともに「昭和軽薄体」と呼ばれました。
内容ではなく文体で指名される書き手になったということです。

理由8:テレビが名前を広げたから。
タモリさん司会の『今夜は最高!』に、『月刊ドリブ』の宣伝を兼ねて出演。
これがきっかけで1982年から『笑っていいとも!増刊号』編集長としてレギュラー出演することになります。
雑誌の読者層をはるかに超えて、顔と名前が知られました

以上はあくまで編集部の考察・推測です。
ご本人が転身の理由をこの通り説明されたわけではありません。

編集者としての歩み

時期できごと
1965年國學院大學を卒業し、平凡社へ入社
平凡社時代『別冊太陽』『太陽』のそれぞれで編集長
ヒット企画『太陽』の「年賀状の図案特集」
1976年安西水丸さんと絵本『ピッキーとポッキー』を刊行
1981年平凡社の経営危機を機に独立、青人社を設立
1982年『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊
1982年『笑っていいとも!増刊号』に編集長としてレギュラー出演
1994年『編集者諸君!』を本の雑誌社から刊行

注目したいのが1982年に3つのことが重なっている点です。
雑誌の創刊、テレビのレギュラー、そして文体の確立。
独立した翌年に、一気に表へ出たことになります。

▼ 安西水丸さんとの絵本は今も読まれています

※シリーズで複数の巻があります。刊行状況は各ストアでご確認ください。

『太陽』とはどんな雑誌だったか

『太陽』は平凡社が発行していたグラフ誌です。
嵐山さんは『太陽』『別冊太陽』それぞれで編集長を務めました。

在任中のヒット企画として名前が残っているのが、
「年賀状の図案特集」です。
文化や美術を扱う雑誌で、読者が実際に使える企画を当てたということになります。

入社した当時の平凡社は、「国民百科事典」が絶好調の時期でした。
先代社長の下中弥三郎さんが、他社において争議活動などで問題となった編集者を集めていた経緯があり、
編集部には個性の強い人が揃っていたと伝えられています。

そこで知遇を得たのが、谷川健一さん、林達夫さん、難波律郎さん、西巻興三郎さんといった先輩編集者たちでした。

独立して作った会社と雑誌

1981年、平凡社は放漫経営のため経営危機に陥ります。
このとき嵐山さんは、馬場一郎編集局長をトップに据え、
平凡社時代の部下だった筒井泰彦さん(筒井ガンコ堂)、渡邊直樹さんらを率いて独立しました。

設立した会社が青人社
そして翌1982年、雑誌『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊します。

ここが分岐点でした。
この『月刊ドリブ』の宣伝も兼ねて、タモリさん司会の『今夜は最高!』に出演。
それがきっかけとなり、1982年から『笑っていいとも!増刊号』に編集長としてレギュラー出演することになります。
雑誌の宣伝が、本人をテレビの人にしてしまったという流れです。

編集者時代に結ばれた縁

相手関係
深沢七郎さん特に影響を受け、「師匠」と呼んでいた
檀一雄さん編集者として親交を深めた
澁澤龍彦さん編集者として親交を深めた
安西水丸さん合作絵本『ピッキーとポッキー』(1976年)
南伸坊さん装丁・挿絵を多数担当
赤瀬川原平さん編集者時代からの友人
渡辺和博さん「素人庖丁記」のイラストを担当
篠原勝之さん編集者時代からの友人
石田千さん元助手(作家)
友川カズキさん飲み仲間

この顔ぶれの厚みが、そのまま仕事につながっていきます。
『週刊現代』で長く続いた連載「素人庖丁記」のイラストは渡辺和博さん。
本の装丁や挿絵は南伸坊さんが多数手がけました。

友川カズキさんとのエピソードも残っています。
嵐山さんは秋田弁が聞きたくて歌わせていたといい、
その適当な節回しのなかから、代表曲のひとつ「ワルツ」が生まれたと伝えられています。

なお安西水丸さんが2014年3月19日に亡くなった際、嵐山さんは朝日新聞に追悼文を寄せています。

よくある質問

どこの出版社にいたの?

平凡社です。1965年に入社し、1981年に離れました。
その後は自身が設立した青人社で活動しています。

何の雑誌の編集長だったの?

平凡社の『太陽』『別冊太陽』で、それぞれ編集長を務めました。
独立後は『DoLiVe 月刊ドリブ』を創刊しています。

『笑っていいとも!増刊号』では何をしていたの?

編集長としてレギュラー出演していました。
きっかけは、タモリさん司会の『今夜は最高!』に『月刊ドリブ』の宣伝を兼ねて出演したことです。
出演開始は1982年からとされています。

「昭和軽薄体」って何?

1980年代に注目された軽妙な口語調のエッセイ文体を指す呼び方です。
カタカナやアルファベットを多用し、「…なのでR」のような書き方をします。
嵐山さんは椎名誠さんらとともに、この呼び名で括られました。

編集者について書いた本はある?

あります。『編集者諸君!』(1994年7月/本の雑誌社)です。
また編集者時代を描いた自伝的小説として、『口笛の歌が聴こえる』『昭和出版残侠伝』もあります。

『ピッキーとポッキー』はどれくらい売れたの?

ご本人の連載(『週刊朝日』2016年7月15日号)によれば、40年間で70万部近くのロングセラーになったとされています。
刊行は1976年、絵は安西水丸さんです。

まとめ

  • 1965年に平凡社へ入社した編集者だった
  • 『太陽』『別冊太陽』のそれぞれで編集長
  • 深沢七郎さんを師匠と呼び、檀一雄・澁澤龍彦とも親交
  • 1981年に独立して青人社、翌年『月刊ドリブ』創刊
  • 1982年から『笑っていいとも!増刊号』にレギュラー出演
  • 放送は8月29日(土)5:40/NHK総合

参照リンク

  • ウィキペディア「嵐山光三郎」来歴・人物(平凡社時代・青人社設立・交友関係)
  • 『週刊朝日』2016年7月15日号 連載「コンセント抜いたか」(『ピッキーとポッキー』の部数)
  • 河北新報 1984年4月20日朝刊24面「登場」コーナー(入社の経緯・独立の経緯)
  • 朝日新聞 2014年3月25日「酒飲みで人情家、仕事一途 安西水丸さんを悼む」
  • 番組表.Gガイド「NHK映像ファイル あの人に会いたい」2026年8月29日(NHK総合 5:40〜5:50)
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