【結論】嵐山光三郎さんの本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)です。
まず読めない名字だと思います。
祐乗坊と書いてゆうじょうぼう。
全国的にも非常に珍しい姓です。
「嵐山光三郎」というペンネームからは、まったく想像がつきません。
そしてこの一家、嵐山さんだけではありません。
お父さんはグラフィックデザイナー、弟さんは造園コンサルタント。
3人とも表現と設計にかかわる仕事をしています。
この記事では、本名と家族について整理します。
- 本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)
- 父は祐乗坊 宣明さん(グラフィックデザイナー・教育者)
- 父は東京朝日新聞社 出版局に約30年勤務
- のちに多摩美術大学へ移り、途中から教授
- 弟は祐乗坊 進さん(造園コンサルタント・多摩美術大学講師)
- ペンネームの由来は公表されていない
- 放送は8月29日(土)朝5時40分/NHK総合
- 本名の読み方と表記
- ペンネームを使った理由の考察
- 父・祐乗坊宣明さんの経歴
- 弟・祐乗坊進さんの仕事
2026年8月29日(土)朝5時40分から、
NHK総合「NHK映像ファイル あの人に会いたい」で
嵐山光三郎(作家)の回が放送されます。
本名を知って観ると、番組の見え方も少し変わるはずです。
【考察】なぜ本名ではなくペンネームで書いたのか
ここからは編集部の考察です。
先にお断りしておくと、ペンネームの由来は公表されていません。
ご本人が「こういう理由で」と説明した記録は確認できませんでした。
そのうえで、状況から見えることを書きます。
結論としては、
「本名が珍しすぎて、書き手として使いにくかったから」だと考えています。
理由1:読める人がほとんどいないから。
祐乗坊を初見で「ゆうじょうぼう」と読める人は、まずいません。
本の背表紙に載る名前としては、読み方で止まってしまうのは不利です。
音の通りやすさは、書き手にとって実用の問題です。
理由2:姓だけで身元が特定されるから。
これだけ珍しい姓だと、名乗った時点で家族まで辿られます。
実際に父も弟も、それぞれの分野で名前が知られている人です。
個人として書くには、名前を分けたほうが動きやすい。
理由3:父が同じ出版の世界にいたから。
父の祐乗坊宣明さんは、東京朝日新聞社の出版局に約30年勤めたグラフィックデザイナーです。
息子が出版社に入って本名で仕事をすれば、「あの祐乗坊さんの息子」として見られます。
それを避けたいと考えても、不思議ではありません。
理由4:出発点が編集者だったから。
嵐山さんは1965年に平凡社へ入社し、編集者として社会に出ています。
編集者は本来、名前が表に出ない仕事です。
のちに書き手として名前を出すとき、別名を立てる余地があったことになります。
理由5:編集者と書き手を両方やっていたから。
『太陽』『別冊太陽』の編集長を務めながら、のちに自分でも書くようになりました。
会社を出てからは青人社を設立し、『月刊ドリブ』を創刊しています。
作る側と書く側の名前を分ける実務的な意味はあったはずです。
理由6:文体そのものが「芸名向き」だったから。
嵐山さんの文体は「昭和軽薄体」と呼ばれました。
カタカナやアルファベットを多用し、「…なのでR」のような書き方をする軽妙な文章です。
この芸風に、堅い本名は合いません。
理由7:テレビに出る仕事があったから。
1982年から『笑っていいとも!増刊号』にレギュラー出演しています。
テレビで呼ばれる名前が必要な立場でした。
司会者が毎回「ゆうじょうぼうさん」と呼ぶ画は、正直あまり想像できません。
理由8:弟も同じ大学に関わっていたから。
弟の祐乗坊進さんは造園コンサルタントで、多摩美術大学の講師。
父も1968年から多摩美術大学に勤めています。
同じ姓が同じ場所に複数いる状況で、長男が別名を立てるのは自然な選択です。
以上はあくまで編集部の考察・推測です。
繰り返しになりますが、ペンネームの由来についての本人の説明は確認できていません。
本名の表記と読み方
| ペンネーム | 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう) |
| 本名 | 祐乗坊 英昭 |
| 本名の読み | ゆうじょうぼう ひであき |
| 出典 | 河北新報 1984年4月20日朝刊24面「登場」コーナー |
| ペンネームの由来 | 公表されていない |
本名が確認できる出典が1984年の新聞記事だという点にも、時代を感じます。
作家本人のプロフィール欄ではなく、新聞の人物紹介コーナーで語られたものです。
▼ 代表作『文人悪食』は文庫でも読めます
※新潮文庫版とマガジンハウス版があります。版をご確認ください。
父・祐乗坊宣明さんはどんな人か
| 氏名 | 祐乗坊 宣明(ゆうじょうぼう のぶあき) |
| 生没 | 1913年3月25日 〜 2000年4月3日 |
| 出身 | 東京市本所区(現・墨田区) |
| 職業 | グラフィックデザイナー、教育者 |
| 勤務歴 | 東京朝日新聞社 出版局に約30年 |
| 大学 | 1968年〜1991年 多摩美術大学(途中から教授) |
| 所属団体 | 報道技術研究会(1940〜1945年)/東京アートディレクターズクラブ(1952年〜) |
| 子 | 長男=嵐山光三郎さん/次男=祐乗坊進さん |
注目したいのが東京アートディレクターズクラブへの参加が1952年からという点です。
日本の広告デザインが職業として形になっていく時期に、その現場にいた世代ということになります。
そして息子との重なりです。
父は新聞社の出版局で30年、
長男は出版社の平凡社で編集者としてキャリアを始めました。
紙とレイアウトの仕事という点で、親子は同じ土俵にいたことになります。
もうひとつ、静かな符合があります。
宣明さんの亡くなった原因は肺炎でした(2000年4月3日、東京都立府中病院)。
そして嵐山さんの死因も肺炎です(2025年11月14日)。
事実として重なっているという以上のことは、何も分かっていません。
弟・祐乗坊進さんの仕事
弟の祐乗坊 進さんは造園コンサルタントです。
また多摩美術大学の講師も務めています。
並べてみると、一家の仕事の性格が見えてきます。
| 家族 | 仕事 | 扱うもの |
|---|---|---|
| 父・宣明 | グラフィックデザイナー | 紙面のレイアウト |
| 長男・英昭(嵐山光三郎) | 編集者・作家 | 雑誌と文章の構成 |
| 次男・進 | 造園コンサルタント | 屋外空間の設計 |
扱う素材は紙・言葉・土と違いますが、
三人とも「限られた枠の中に、要素を配置する仕事」だと言えます。
そして父と次男は、どちらも多摩美術大学に関わっています。
「祐乗坊」という姓について
祐乗坊は、日本の姓のなかでもかなり珍しい部類に入ります。
3文字の姓であること、そして「坊」で終わることが特徴です。
ただし、この姓の由来や分布について公式に確認できる資料は見当たりませんでした。
本記事では推測を書きません。
確実に言えるのは、嵐山家(祐乗坊家)が東京の家であること——
父の宣明さんが東京市本所区(現・墨田区)の出身であるということだけです。
なお嵐山さん自身の出生地は静岡県浜松市で、1950年から東京都の国立町で育っています。
父の出身地とは別の土地です。
よくある質問
本名は何と読むの?
「ゆうじょうぼう ひであき」です。
漢字表記は祐乗坊 英昭。
出典は河北新報 1984年4月20日朝刊の人物紹介コーナーです。
ペンネームの由来は?
公表されていません。
京都の嵐山との関係についても、公式な説明は確認できていません。
本記事では推測を断定として書きません。
お父さんは有名な人ですか?
デザインの分野で知られた方です。
祐乗坊宣明さんは東京朝日新聞社の出版局に約30年勤めたのち、
1968年から1991年まで多摩美術大学に勤務し、途中から教授を務めました。
兄弟はいますか?
弟がいます。祐乗坊 進さんで、造園コンサルタント・多摩美術大学講師です。
嵐山さんは長男、進さんは次男にあたります。
奥さんやお子さんの情報は?
公表されていません。
配偶者や子どもについての公式な情報は確認できませんでした。
訃報でも「近親者による葬儀」とだけ報じられています。
本名で発表した作品はありますか?
確認できていません。
著作はいずれも「嵐山光三郎」名義で刊行されています。
まとめ
- 本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)
- 父は祐乗坊宣明さん(1913〜2000/グラフィックデザイナー)
- 父は東京朝日新聞社出版局30年→多摩美術大学教授
- 弟は祐乗坊進さん(造園コンサルタント・多摩美講師)
- ペンネームの由来は公表されていない
- 放送は8月29日(土)5:40/NHK総合
参照リンク
- ウィキペディア「嵐山光三郎」(本名・父・弟。河北新報1984年4月20日朝刊24面を典拠とする記述)
- ウィキペディア「祐乗坊宣明」(生没年・出身・経歴・所属団体・子)
- 東京文化財研究所「日本美術年鑑所載物故者記事」祐乗坊宣明
- 朝日新聞デジタル 2025年11月28日(嵐山光三郎さんの訃報)
- 番組表.Gガイド「NHK映像ファイル あの人に会いたい」2026年8月29日(NHK総合 5:40〜5:50)