【結論】大島青松園は1909年に開設された国立のハンセン病療養所です。
香川県高松市の沖、面積61haの大島にあります。
島の中には納骨堂があり、
開園以来2000人を超える入所者がそこに葬られています。
- 1909年(明治42年)開設/当初の名は「大島療養所」
- 中国四国8県が連合した「第4区療養所」として発足
- 病床は200床から始まり、最大860床まで拡大
- 島に残るのは納骨堂・風の舞・解剖台・ミニ八十八カ所・墓標の松
- 入所者は29人(2024年8月1日時点・平均86.7歳)
- 瀬戸内国際芸術祭の会場のひとつでもある
- 大島青松園の成り立ちと歴史
- 島に残る5つの場所の意味
- いまの入所者数と暮らし
- 島への行き方と芸術祭のこと
2026年8月30日(日)朝8時25分から、
NHK総合「Dearにっぽん」で
「“隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々」が放送されます。
舞台になるのが、この大島青松園です。
どんな場所なのかを整理しました。
【考察】なぜ療養所の中に「納骨堂」があるのか
ここからは編集部の考察です。
病気を治すために入る施設の中に、お墓がある。
病院に納骨堂は建ちません。
結論から言えば、
「出ていくことが想定されていなかったから」だと考えています。
理由1:施設が「島」に置かれているから。
大島は四国本土まで最短約1kmしかありません。
泳いで渡れそうな距離に、あえて隔離施設が置かれました。
近いのに行き来できない――その設計自体が、出入りを想定していない証拠です。
理由2:定床が4倍以上に膨らんでいるから。
厚生労働省の沿革によれば、開設時200床だった病床は最大860床まで増えました。
退所者が出て入れ替わる施設なら、ここまでの増床は要りません。
入る一方だったから、器を大きくし続けたと読めます。
理由3:園内が「村落」として作られているから。
公式資料は園内の設備を「あたかも村落のよう」と表現しています。
公会堂、老人福祉会館、売店、理美容室、郵便局、公園、宗教施設。
一生分の生活機能が最初から用意されていました。
理由4:遺族が引き取りに来なかったから。
Leprosy.jpの資料は、園内で亡くなった多くの方が遺族に引き取られることもなく納骨堂に葬られたと書いています。
遺骨の引き取りは、家族が病歴を認めることを意味しました。
差別が強い時代ほど、引き取り手は現れません。
理由5:数字が「片道」を示しているから。
1999年10月時点の公式統計では、開園以来の入所者3,923名に対し、
園内死亡者が1,970名、退所者は823名です。
亡くなった人が退所した人の2倍以上いる計算になります。
理由6:名前を捨てた人がいるから。
療養所では、故郷に迷惑をかけまいと偽名で暮らした人が少なくありません。
本名を明かさないまま亡くなれば、家の墓には入れません。
行き先は園内の納骨堂しか残らないことになります。
理由7:解剖が行われていたから。
島には1950年代まで使われていた解剖台が残っています。
かつて全国の療養所で、亡くなった方の解剖が行われていました。
死後の扱いまで施設の内側で完結する仕組みだったということです。
理由8:それでも「島を出たい」願いが形になっているから。
納骨堂に納めきれない残骨を納めた「風の舞」というモニュメントがあります。
込められた願いは「せめて死後には風に乗って島を離れて、自由に解き放たれますように」。
この一文が、納骨堂という存在の意味を逆から説明していると考えています。
以上はあくまで編集部の考察・推測です。
公式資料が納骨堂の理由をこの8点で説明しているわけではありません。
大島青松園の基本データ
| 正式名称 | 国立療養所 大島青松園 |
| 所在地 | 香川県高松市庵治町6034-1 |
| 開設 | 1909年(明治42年)4月1日 |
| 島の面積 | 61ha |
| 位置 | 高松港の東方約8km/四国本土まで最短約1km |
| 開設時の病床 | 200床(職員定数21名) |
| 最大病床 | 860床 |
| アクセス | 高松港・県営第一浮桟橋から官有船で約20〜25分 |
島の西からは桃太郎伝説の鬼ヶ島のモデルとされる女木島、
南には源平合戦の舞台となった屋島・壇ノ浦、
東には『二十四の瞳』の小豆島が見えます。
観光地に囲まれた場所に、隔離の島がありました。
▼ 大島が会場になる芸術祭のガイドはこちらから
※番組の公式書籍ではありません。島を訪ねる前の予習用としてどうぞ。
島に残る5つの場所
納骨堂
日本のハンセン病療養所にはすべて納骨堂があります。
大島青松園では1909年の開園以来、2000人を超える入所者が園内で亡くなり、
その多くが遺族に引き取られないまま葬られました。
風の舞
納骨堂に納めた残りの残骨を納めたモニュメントです。
1992年(平成4年)、入所者自治会・職員・ボランティアが石を積んで完成させました。
設計は庵治町在住の彫刻家橋本清孝さん。
込められた願いは「風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように」です。
解剖台
1950年代まで実際に使われていたものです。
古い施設を解体したときに業者が海へ捨ててしまいましたが、
2010年(平成22年)に浜で発見されました。
重機で運ぶ際に二つに割れたまま、同年の第1回瀬戸内国際芸術祭で展示されています。
ミニ八十八カ所
四国八十八カ所霊場を模した88体の石仏が園内に置かれています。
大正時代の終わりごろ、四国各地の寺院から寄贈されたものです。
島にいながら四国八十八カ所巡りができるように、という配慮でした。
かつて四国遍路には、病気で故郷を追われた人が多くいました。
ハンセン病の歴史と八十八カ所巡礼の歴史は、
もともと近い場所にあったということです。
墓標の松
大島は源平合戦の舞台のひとつでした。
屋島の戦いに敗れた平氏が長門へ落ち延びる際、
この島に武将の亡骸を刀や弓矢とともに埋葬したと伝えられます。
そのとき墓標として植えられた松が、いまの青松園の玄関口の松だという言い伝えです。
開設から現在までの流れ
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1907年(明治40年) | 法律第11号「ライ予防ニ関スル件」制定。全国を5区域に分ける |
| 1909年(明治42年)4月 | 中国四国8県連合の「第4区療養所」として発足(200床) |
| 1910年(明治43年) | 「大島療養所」と改称 |
| 1941年(昭和16年)7月 | 厚生省へ移管。「国立らい療養所大島青松園」に |
| 1946年(昭和21年)11月 | 「国立療養所大島青松園」に改称 |
| 1949年(昭和24年) | スルフォン剤による治療が予算化。軽快退所が始まる |
| 1952年(昭和27年)4月 | 付属准看護学院を併設 |
| 1953年(昭和28年)8月 | 「らい予防法」公布 |
| 1992年(平成4年) | 「風の舞」完成 |
| 1996年(平成8年)4月 | 「らい予防法」廃止。「患者」から「入所者」へ |
| 2010年(平成22年) | 第1回瀬戸内国際芸術祭。解剖台が浜で発見・展示される |
注目したいのは、1949年に治療が始まってから1953年に予防法ができるという順番です。
治せる病気になったあとで、
隔離を続ける法律のほうが新しく作られたことになります。
この法律が消えるまで、さらに43年かかりました。
いまの入所者と園内の暮らし
| 昭和30年代 | 約700人 |
| 2024年8月1日時点 | 29人/平均年齢86.7歳 |
| 開園以来の入所者 | 3,923名(1999年10月時点) |
| 園内で亡くなった方 | 1,970名(同上) |
| 退所者 | 823名(同上) |
| 1日の診療件数 | 延べ500件超 |
入所者は全員、ハンセン病の基本治療を終えています。
それでも末梢神経障害を中心とした後遺症の治療が必要で、
基本治療科・外科・整形外科・形成外科・眼科・耳鼻咽喉科・歯科・理学療法科などが置かれています。
高齢化にともなう内科・泌尿器科などの一般医療の比重も大きくなっています。
居室はプライバシーに配慮した個室(単身用・夫婦用)。
介助が必要な方は不自由者センターで看護師・介護員の支援を受けています。
入所者自治会を核に、機関誌『青松』『灯台』の発行や、
カメラ・川柳・俳句・短歌・囲碁・ゲートボール・盆栽・絵画・陶芸のクラブ活動が続けられています。
8月30日の放送内容
| 番組 | Dearにっぽん |
| 回タイトル | “隔離の島・大島” 伝え遺す最期の日々 |
| 放送日時 | 2026年8月30日(日)午前8時25分〜8時50分 |
| 放送局 | NHK総合 |
| 登場する人 | 野村宏さん(入所者自治会副会長・島で74年) |
番組情報では、大島を「かつて国がハンセン病患者を強制収容した“隔離の島”」と紹介しています。
その島を「第二のふるさと」と呼ぶ入所者の思いが描かれる、という内容です。
よくある質問
大島青松園には行けますか?
大島は瀬戸内国際芸術祭の会場のひとつで、
会期中には国内外から多くの見学者が訪れています。
園の旧跡をめぐるガイドツアーもあります。
訪問の可否や方法は時期で変わるため、必ず公式の案内をご確認ください。
島へはどうやって渡りますか?
高松港の県営第一浮桟橋から官有船で約20〜25分です。
JR高松駅から港まで歩ける距離にあります。
「第4区療養所」とは何ですか?
1907年の法律で全国を5区域に分け、それぞれに療養所を設けることになりました。
第4区は岡山・広島・山口・島根・徳島・香川・愛媛・高知の8県の連合です。
その施設としてつくられたのが大島療養所でした。
いま何人が暮らしていますか?
29人です(2024年8月1日時点)。
平均年齢は86.7歳。
昭和30年代には約700人いました。
ハンセン病はいまも感染しますか?
厚生労働省の説明では治療開始後数日で感染性は失われます。
病状に応じて1回・6か月・12か月・24か月の薬剤投与を行えば治癒する病気です。
まとめ
- 大島青松園は1909年開設の国立ハンセン病療養所
- 中国四国8県連合の「第4区療養所」が前身
- 病床は200床→最大860床まで拡大した
- 島には納骨堂・風の舞・解剖台・ミニ八十八カ所・墓標の松が残る
- 入所者は29人(2024年8月1日時点・平均86.7歳)
- 放送は8月30日(日)朝8時25分/NHK総合
参照リンク
- 厚生労働省「国立療養所大島青松園」沿革(開設経緯・病床数・改称・法律の年)
- 厚生労働省「国立療養所大島青松園」概況(環境・面積・診療体制・園内の生活・クラブ活動)
- Leprosy.jp「国立療養所 大島青松園」(納骨堂・風の舞・解剖台・ミニ八十八カ所・墓標の松・アクセス)
- KSB瀬戸内海放送(入所者29人・平均年齢86.7歳)
- 番組表.Gガイド「Dearにっぽん」2026年8月30日(NHK総合・番組情報)