沢村貞子の献立日記とは?26年半つけた記録が番組になるまで

【結論】献立日記は1966年4月から26年半つけられた記録です。

本記事はプロモーションを含みます。

  • つけていたのは女優・随筆家の沢村貞子さん
  • 始まりは1966年4月、期間は26年半
  • 最初は返礼品のカレンダー、のちに台本の裏の紙
  • 書いたのは作った当日か翌日、予定は書かない
  • 番組化は2018年から、Eテレで放送中
  • 書籍は全4巻・累計9万部、第4巻は2026年8月7日発売
この記事で分かること
  • 献立日記がいつ書かれたものか
  • どんな紙に、どう書かれていたか
  • なぜ書き始めたのか
  • 沢村貞子さんがどんな人だったか
  • 書籍化シリーズの巻数と内容

2026年8月23日(日)午後7時45分、
Eテレの「365日の献立日記」が放送されます。
タイトルにある「献立日記」とは何なのか。
番組の元になった記録そのものを、
公開されている資料からたどります。

目次

【考察】なぜ献立だけの記録が残ったのか

ここからは編集部の考察です。
結論から言うと、
日記ではなく「作業の記録」だったから続いたのだと考えています。

理由1:書く目的がはっきりしていたから。
沢村さんは昨日と同じものを食べたくないという嗜好の持ち主でした。
加えて、当時内縁関係にあった大橋恭彦さんが手料理を好んだと記録されています。
つまり献立が重ならないよう管理する必要があったということ。
記録は目的のある作業でした。

理由2:書く量が少なかったから。
書かれていたのは料理名とわずかなメモだけです。
感想も出来事も書いていません。
1日数十文字で終わるという設計が、
26年半という長さを可能にしたと考えられます。

理由3:予定を書かないルールだったから。
沢村さんは食べるものを事前に決めたくない性格で、
献立を予定として書くことはなかったとされています。
記入は作った当日か翌日
予定表なら守れなかった日に途切れますが、
事後の記録なら途切れようがありません

理由4:ほかに日記をつけていなかったから。
献立以外の日記をつける習慣はなく、
あったのは家計簿くらいだったと記録されています。
書くものを1つに絞っていたということです。
分散していないぶん、続きやすくなります。

理由5:紙が身近にあったから。
最初は返礼品のカレンダーに書き込み、
次第に台本の裏の紙を切り取って使うようになりました。
専用のノートを買いに行く必要がありません。
仕事道具の余りが記録用紙になった形です。

理由6:本人が書き手だったから。
沢村さんは日本エッセイスト・クラブ賞を受けた随筆家でもあります。
1969年の『貝のうた』以降、多くの著作を残しました。
文章を書くことが日常にある人だったので、
紙に残す行為に抵抗がなかったと考えられます。

理由7:料理そのものが本業並みだったから。
仕事の際にも自作の弁当を持参して共演者やスタッフに振る舞うことがあったと記録されています。
料理に関する著書も出版しました。
趣味の域を超えていたので、
記録に値するものという意識があったはずです。

理由8:生活そのものを一定に保つ人だったから。
沢村さんは和装にちりめんのような安価な生地を好み、
あとで染め直して個性を出していたと記録されています。
化粧品も安価で大量に買えるものを選んでいました。
一方で和服の衿の白は少しでも黄ばむとすぐ漂白に出すほどのこだわり。
手をかける場所と抜く場所がはっきり分かれている人でした。
毎日の献立を紙に残す作業も、
その延長にある習慣だったと考えられます。

以上はあくまで編集部の考察・推測です。
ご本人が理由を書き残しているわけではありません。

献立日記の基本データ

書いた人沢村貞子(女優・随筆家)
開始1966年4月
期間26年半
書いた紙返礼品のカレンダー → 台本の裏の紙
記入のタイミング作った当日、または翌日
書かなかったこと予定の献立、献立以外の日記
ほかにつけていたもの家計簿

1966年4月から26年半ということは、
単純に数えて1992年ごろまで
沢村さんが女優を引退したのが1989年なので、
引退後もしばらく続いていたことになります。

▼ 献立日記の書籍版はこちらから

※書籍版のシリーズが探せます。在庫・価格はリンク先でご確認ください。

沢村貞子さんはどんな人だったか

本名大橋 貞子(おおはし ていこ)
生没1908年11月11日 〜 1996年8月16日(87歳没)
出身東京・浅草
職業女優・随筆家
受賞毎日映画コンクール女優助演賞/日本エッセイスト・クラブ賞/NHK放送文化賞ほか
引退1989年(NHKドラマ『黄昏の赫いきらめき』が最後)

生涯の出演映画本数は資料で分かれます。Wikipediaは「350本以上」、書籍版元リトルモアのプロフィールは「100本以上」と記しています。本記事では本数を断定していません。

1977年の『私の浅草』日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
『貝のうた』『私の浅草』
連続テレビ小説『おていちゃん』の原作にもなりました。

なお2026年は沢村さんの没後30年にあたります。
書籍第4巻の紹介文にも、そのことが記されています。

書籍化シリーズは全4巻

1巻2020年3月10日発売/96品/2,200円
2巻2021年4月26日発売/2,200円
3巻2023年5月11日発売/2,200円
4巻2026年8月7日発売/131品/208ページ/2,860円

出版はいずれもリトルモア
写真は齋藤圭吾さんが担当しています。
第4巻の紹介文には「累計9万部突破」とあり、
全4巻に収録された料理は434品
4巻には全巻の索引も収録されています。

第4巻の発売は2026年8月7日
8月23日の放送とは半月ほどの差しかありません。
本が出たばかりのタイミングでの放送ということになります。

献立日記に残っていた料理の例

書籍の紹介文には、
収録されている料理名がいくつも並んでいます。

牛肉バタ焼/そら豆 白ソース和/えびのグラタン/ちらしずし
えび入りおこげ料理/夏ずし/白玉入り氷あづき/冷やし中華
カレーライス/茄子のはさみあげ/きのこごはん/風呂ふき大根
大正えびのフライ/魚すき/ドーナッツ/コロッケ/茶碗むし

洋食も中華も和食も混ざっています。
ドーナッツ冷やし中華まで並ぶあたり、
特別な日の料理ではなく普段のごはんだったことが分かります。

番組としての「365日の献立日記」

Eテレでの放送は2018年から。
クレジットは次のように分かれています。

  • 献立:沢村貞子(女優・エッセイスト)
  • 料理:飯島奈美(フードスタイリスト)
  • :鈴木保奈美(女優)

亡くなった方が「献立」としてクレジットされている、
という点が珍しい番組です。
献立を出す人と作る人が別という構造になっています。

よくある質問

Q1. 献立日記はいつからいつまで?

1966年4月から26年半です。
単純に計算すると1992年ごろまで続いたことになります。

Q2. 何に書かれていたのですか?

最初は返礼品のカレンダー
次第に台本の裏の紙を切り取ったものを使うようになりました。

Q3. 献立以外のことも書いてありますか?

ほとんどありません。
献立以外の日記をつける習慣はなく、
家計簿くらいだったと記録されています。

Q4. 沢村貞子さんはいつ亡くなったのですか?

1996年8月16日、87歳です。
2026年は没後30年にあたります。

Q5. 本は何巻まで出ていますか?

全4巻です。
最新の第4巻は2026年8月7日に発売されました。

Q6. 番組はいつから放送されていますか?

2018年からEテレで放送されています。
2026年4月からは本放送が日曜午後7時45分になりました。

まとめ

献立日記は、沢村貞子さんが1966年4月から26年半つけた記録
書かれていたのは料理名とわずかなメモだけでした。

紙は返礼品のカレンダーから台本の裏へ。
予定は書かず、作った当日か翌日に記入していました。

書籍は全4巻・累計9万部
第4巻は2026年8月7日に出たばかり。
番組は8月23日(日)午後7時45分、Eテレです。

参照リンク

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