【結論】サニー・フランシスさんは1964年インド生まれ、1986年に来日した俳優・ラジオパーソナリティです。
- 1964年7月1日生まれ。南インド・ケララ州出身
- 本名はアラパト・ジョシ・フランシス
- 1986年4月4日に来日。今年で訪日40年
- 『ここがヘンだよ日本人』に3年半レギュラー出演
- 現在は関西を拠点に活動
- サニー・フランシスさんの経歴と生い立ち
- 40年日本で活動できている理由の考察
- 家族構成と人物像
- 「ニッポンのSHOKUNIN」での役割
番組表で「インド出身サニーフランシスさんが様々な職人を訪ねる!」と紹介されている人物。
名前は知らなくても、顔を見れば分かるという人が多いはずです。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、TBS系の討論バラエティ『ここがヘンだよ日本人』に出ていた、あの人です。
この記事では、その経歴を整理していきます。
【考察】40年も日本で続けられている理由
ここからは編集部の考察です。
結論を書きます。
サニーさんが訪日40年を経てなお現役でいられるのは、「外国人タレント」という枠から早い段階で降りたからだと考えています。
理由を6つに分けて挙げます。
理由1:来日後に「作る側」の学校へ行っている
1986年に来日したあと、YMCA日本語学校を1988年3月に卒業。
その翌月には大阪ビジュアル・コミュニケーション専門学校の映像学科に入学しています(Wikipedia)。
タレント養成所ではなく映像の専門学校です。
出演者としてだけでなく、制作の仕組みを学んだ点が長く効いていると考えます。
理由2:ラジオという顔の出ない場を持った
1995年10月に開局したFM COCOLOのDJオーディションにデモテープを送り、採用されています。
当初はヒンディー語番組を担当し、翌1996年には日本語での生放送を任されるようになりました。
ラジオは見た目の珍しさが通用しない媒体です。
ここで日本語の生放送を回せたことが、後の土台になったと予測します。
理由3:全国区の番組に依存しなかった
『ここがヘンだよ日本人』は1998年放送開始で、サニーさんは3年半レギュラーを務めました。
ただし番組はいずれ終わります。
その間もFM COCOLOのレギュラーを関西で持ち続けていました。
全国区が終わっても消えない構造を先に作っていたわけです。
理由4:報道番組のコメンテーターに回った
2007年10月からは関西テレビ『FNNスーパーニュースアンカー』の不定期コメンテーターを務めるようになります。
その後もサンテレビの情報番組などでコメンテーターを継続しています。
バラエティの「変わった外国人」ではなく、意見を求められる立場への移行です。
この転換が寿命を延ばしたと考えます。
理由5:取材する側に立った
そして今回の「ニッポンのSHOKUNIN」です。
これは兵庫県内の職人を取材するロケ企画で、サニーさんはリポーターを務めています。
語られる側から語る側・聞く側へ。
職業としての持続性がまるで違うと予測します。
理由6:生活の基盤を日本に置いた
1995年に結婚し、1男2女がいます。
日本の永住ビザも取得しています。
仕事の都合で行き来する立場ではなく、生活者として腰を据えている。
ローカルの仕事が続く理由はここにもあると考えます。
以上は公開情報からの考察・推測であり、本人の意図を確認したものではありません。
プロフィール
| 名前 | サニー・フランシス(Sunny Francis) |
| 本名 | アラパト・ジョシ・フランシス |
| 生年月日 | 1964年7月1日 |
| 出身 | 南インド・ケララ州トリチュール市 |
| 育ち | 西インド・グジャラート州アフマダーバード |
| 職業 | 俳優、ラジオパーソナリティ |
| 身長・体重 | 178cm・86kg(2020年4月時点) |
| 母国語 | マラヤーラム語(第二言語はヒンディー語) |
生まれはケララ州ですが、1歳のときにグジャラート州へ移り、そこで育っています。
「インド出身」とひと言でまとめられがちですが、南と西では言語も文化も別物です。
▼ インド料理のスパイスはこちらから探せます。
※セット内容は商品により異なります。リンク先でご確認ください。
来日までの経歴
父はクリスチャンで、月給600ルピーの工場労働者だったと記録されています。
5歳上の兄、1歳上の兄、9歳下の弟がいる男4人兄弟です(長女がいましたが早世)。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1964年 | ケララ州トリチュール市に生まれる |
| 1歳 | ケララからグジャラートへ移る |
| 学校 | セント・ザビエルズ・ハイ・スクール卒業 |
| 大学 | L.D.Arts大学英文科を3年で卒業(1986年3月) |
| 1986年4月4日 | 訪日 |
| 1988年3月 | YMCA日本語学校を卒業 |
| 1988年4月 | 大阪ビジュアル・コミュニケーション専門学校 映像学科へ |
| 1990年3月 | 同校を卒業 |
大学入学の経緯も少し変わっています。
いったんLJ College Of Commerceに入学したものの留年して1年で中退し、L.D.Arts大学に入り直しています。
日本語学校に通っていた時期には、他の留学生と劇団を設立して日本各地で公演も行っていました。
テレビ・映画・ラジオでの活動
テレビ初出演は1988年の『東芝日曜劇場 恋していました』。
インド人の弁護士役とパキスタン人の犯罪者役の二択で、強制送還されるパキスタン人の犯罪者役を選んだと記録されています。
劇場公開映画への初出演は2004年の『リアリズムの宿』(山下敦弘監督)です。
ラジオを始めたきっかけも独特でした。
訪日して半年ほどの頃、通っていた日本語学校にラジオ局から問い合わせがあり、教師の勧めでMBSラジオの番組に出演したのが最初だそうです。
2001年には金曜23時から土曜1時までの生放送『SUNNY DONBURI』を担当しています。
人物像
- 下戸で、かなづち(泳げない)
- イカとタコと納豆が嫌い
- 趣味はインド音楽鑑賞、特技はテトリス
- 運転免許はあるが「助手席エキスパート」
- インド映画に造詣が深い
2020年代に入ってからの愛称は「マラやん」。
MBSラジオの番組でアシスタントの斉藤雪乃さんがそう呼んだのを、別番組で八塚彩美さんが取り上げたのがきっかけだそうです。
『ここがヘンだよ日本人』については、「自身の発言が実際の放送でどれだけ残るかに苦心していた」という記述もあります。
にぎやかな番組の裏で、かなり戦略的に立ち回っていたことがうかがえます。
よくある質問
Q1. どこの出身ですか?
生まれは南インドのケララ州トリチュール市です。ただし1歳のときに西インドのグジャラート州アフマダーバードへ移り、そこで育っています。
Q2. いつ日本に来たのですか?
1986年4月4日です。大学を卒業した翌月にあたります。2026年時点で訪日から40年になります。
Q3. 結婚していますか?
1995年に結婚しています。相手は留学生として来日した台湾人女性で、YMCAの劇団の後輩にあたり、テレビ初出演作でも一緒だったそうです。1男2女がいます。
Q4. 何語を話しますか?
母国語はマラヤーラム語、第二言語がヒンディー語です。大学では英文科を出ており、日本語でも生放送を担当しています。
Q5. 今も日本に住んでいますか?
神戸市に在住とされ、日本の永住ビザを取得しています。大阪のポートタウン東や西成区での仕事を経て、神戸へ移ったという経歴です。
Q6. 飲食店をやっていると聞きましたが?
2007年8月8日から神戸市灘区でインド料理と台湾料理の両方を出す店を経営していたと記録されています。ただし現在の営業状況は確認できませんでしたので、訪問を考えている方は最新情報をご確認ください。
今後の見通し
サニーさんの現在の主戦場は関西のローカル局です。
全国区の露出は減っていますが、それは衰退ではなく選んだ結果に見えます。
「ニッポンのSHOKUNIN」のように、地域の職人を外国人の目線で伝える企画は、今後さらに需要が増えると予測します。
訪日客が増えるほど、その視点の価値は上がるからです。
訪日40年、日本語での生放送経験、そして永住者としての生活。
この3つが揃っている外国出身のタレントは、実はそう多くありません。
まとめ
サニー・フランシスさんは1964年7月1日生まれ、南インド・ケララ州出身の俳優・ラジオパーソナリティです。
本名はアラパト・ジョシ・フランシス。
1986年に来日し、日本語学校と映像の専門学校を経て活動を開始。
『ここがヘンだよ日本人』に3年半レギュラー出演したことで広く知られました。
現在は関西を拠点に、取材する側・語る側として活動しています。
「ニッポンのSHOKUNIN」では兵庫県内の職人を訪ねるリポーター役です。